ものごとを理解できるのはそれがおこった後になってからということ
それを理解すべきなのはものごとがおこっている最中であるにもかかわらず、です。
現在おこっていることについて完璧に理解したい、と思うのは当たり前のことなんだろうけど、たぶんそれができている状態というのはありえないのではないか?
あるとしたらそれは同時進行で理解しているのではなく、高確率で的中する未来予測なのかもしれない。
そういうふうにおきなおしてみたら、なんかがんばれば習得出来そうな気がしてきた。要チェックや。
ものごとを理解することがものごとに必ず遅れてやってくるのにはどういうメリットがあるんだろう。それが可能になればあらゆるミスが軽減されるのに。
これまた職場の話になるのだけど(こんなにいろいろ考えさせるんだから、このきつくて自分に明らかに向いてない仕事を紹介してくれたあの子にはもっともっと感謝しなくてはいけない)、前任者がのこしてくれた申し送り事項を読み込んで本番にそなえようとしていた、去年の11月時点の私の試みは、完全な失敗に終わっている。「この仕事きついぞー、こういうところ見落とすぞ~」と丁寧に残されていた警告たちは、大多数が必要なときに把握できていなくて、あとから「ああこういうことだったのか」「ここにかいていたはずなのに」とあとからむなしく確認されるだけだ。
自分でも1月にその子にむかっていったのだ。「この仕事がどういう内容であるか分かるのは、たぶんすべてが終わってからなんだろうね?」と。
おそらく、この問題を解決するのは想像力しかないんだろうなあと思う。体験しないとわからないことをなるべく前もって感知するためのシミュレーション。そしてその想像力を助ける材料は過去の体験になる。過去におきたことから未来を予測して、現在を理解する。こんな感じかな。
こういうことを考えると「現在」という概念の曖昧さに驚く。言語に現在形なんか必要ないのでは?と思うほど(笑)。過去形と未来形だけでやっていけそう。
現在を同時進行で理解することができない、という考えは年下の子をみていてもおもう。私が何年か前に経験したイベントを今まさに経験している人は、いますごく苦しそうである。そして私はその人の様子を見ながら、あああのイベントはこういうものであったと理解する。今ならその苦しみの原因をつきとめて解消することだってできそうなのに、それが必要な時期は何年も前に過ぎ去ってしまっている。こういうことは人から聞くだけでは自分の理解として体にしみこむことはない。結局自力で編み出すしかなくて、そしてその作業は経験そのものから必ず遅れてしまうのだ。だから先に経験したアドバンテージをつかって力になりたいと思っても、その思いが根本的な解決につながることはない。と思う(弱気)。
いつだったか岡田斗司夫さんが「悩みのるつぼ」で、クラス内のポジショニングに苦労している中学生の悩みにこたえたときがあった。そのとき岡田さんは
あなたの悩みは残念ながら誰にも解決できません。でも誰かの悩みを聞いてあげると、少しだけ軽くなりますよ。僕もいま、中学時代のことが少しだけ軽くなりました。ありがとう。と締めくくったのだけど、これも同じ事だろうなあと思う。歴史が繰り返すのは歴史が繰り返されたことに気づくのが、それが繰り返されたあとだからなのだ。
経験と同時に理解を得るのが不可能でも、そのシステムを知っておくことが大事だと思う。経験している最中は全体を俯瞰することができないだろうけど、「あとで今おこってることが綺麗に整理されて分かるんだろうなあ」って考えるだけで、少しゆとりが持てる気がする。今分かりたいことなのに今分かることができないとしても、いつかは分かる日がくる。酷い話だけど(笑)。
だから私が過去に経験した苦しみを今まさに感じている人には「想像して!」って叫ぶしかできることはないんだろう。
こういう思考のプロセスをもっと前にしていた誰かが、私をみて「わかるわかる、私もそうだった」って思ってくれて、なんとなく心が軽くなってくれたりしたら楽しいなあ。
という謎の連日の考え事でした。
色んな事を経験するのが大事よね。それを避けるとアイツみたいな、なまくらに仕上る。俺が少し上の先輩から教わった事は、俺らの年頃は40までに幾つ壁にぶちあたり解決してきたかにより変わると。それだけのアドバイスだったが、やはり血反吐が出るほどの苦しみと、(ヤクザみたいな得意先を説得)心から嬉しい成功(めちゃ売れアイテムが思う様に売れていく)が有ってしか成長していけないよ。
返信削除人生の中でそれが無いとすげーつまんないしよ。
毎日がムーミン谷みたいな生活だったらヤバいと思う。
俺だったら谷に身を投げるかもしれん。
問題が起こった場合、必ず周囲を巻き込む事も大事だよ。
レベル100の人と一緒に解決して行くと参考になる。報告の手間も省けるしな。
あと自分自身のレベルって実は結構上がってたり、それに
気付かない物なので、失敗や問題の最中でも、成功している時でも、普通に思った事を意見交換の場で適切に言える技も大事。失敗を恐れず経験し未来への糧とするのだ。
人に寄りけりですが、私は血反吐出るレベルの苦しみには負けて押しつぶされる自信があるので、無理にがつがつしないでペースを見極めていこうと想うです。
削除苦しんだ人が勝ちってことはないからねえ
スナフキンもどうやって正気を保っているのか、たしかに疑問ですね
情報共有と周りを巻き込むっていうのほんとだいじってのはわかる!
説明の手間がめんどくさいかなって考えるけど、そのあとのやりやすさが違うね
意見がいろいろでてきたらすりあわせるっていうのも大事だし…この辺しんどいけど、どうやりくりしようかって考えることじたいはなかなか面白いですな
わー私はがんばらねばいかん!