お絵かき的転換期っぽいなう。
世の中にはクィアーなものがあふれすぎていて、おかしいのではないかという考えから。
たとえば目に痛い柄のレギンスとか。
ジェンダーにおける偏見がどうのこうのでなくて、たんじゅんにゲイっぽいものを見過ぎて見飽きた反動がきているだけです。
ひとつの価値観が支配するのはつまんないねっていうだけのはなし。
外は雷が鳴り響いていてとてもきもちいいです。
「絵を描く」というのは、私の場合、雑誌の撮影をしているようなものです。趣味のお絵かきに限って、ですが。
私がその雑誌のエディターでカメラマンでヘアメイクでスタイリストで、モデルと小物とロケーションをきめて、はい撮影、という感覚で絵を描いています。
この感覚だと絵は「描かれる準備ができた対象」ということになり、自然体を「うっかり」描かれた人ではないわけでして。
今よく見かける派手なレギンスや柄スキニーをみていておもうのは、「なんと準備の整った服であるか」ということです。
「これを着るひとは自動的に『これを着そうな人』に変換される」みたいな。
それを着ている限り間違わないみたいな。
そういうことを勝手に思っては「うーん」とうなっているのです。
これが問題だと考えているわけではないんですが。
それにしてもひどい文章ですね。
たぶん、そのお洋服たちには最初からカテゴリーがきまっていて、その不自由さが気にくわないんだと思います。要求されるものを満たしてあげられるって最初からわかっているかんじが。
で、絵にたいしても、要求を満たすだけのものってなんだかなあと思うというか。
しかし基本的に世の中から求められる絵というのは「しっかり要求を満たすもの」であるわけで、それをあえて「いやいやそれどうよ」って物申す場合には、その人の実力が十分そなわっている必要があります。で、私みたいな無名の人が叫んでも説得力は皆無なので、またしても自分自身の「何も持ってなさ」に絶望しながら、いろいろともやもやしながら、落書きを数点。
結局何が言いたかったかとかはどうでもいいじゃないか?
テーマは「求められない絵」です。ぜんぶまとめて1時間くらいで描いたよ。
1枚目。まだこびを売っている。
2枚目。なかなか誰も求めないものができたとおもう。
アジア人って可能性がまだまだあって面白いよなあと思いながら描いたらこんなのできました。
誰も求めてなさすぎなうえにあんまりにも現実っぽくてむなしく描けました。
首から肩にかけての体温の存在を大事にしながら描きました。
これも媚び売ってる
柔らかくて細い髪質の黒髪ストレートロングは、毛先をゆるくアイロンで巻くべきという主張。
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