2015/11/04

華麗なる誤読

喜嶋先生の静かな世界 The Silent World of Dr.Kishima (講談社文庫)
森 博嗣
講談社 (2013-10-16)
売り上げランキング: 99,737

本の後ろにあるあらすじを読み、少し中身をパラパラして購入。森博嗣さんの作品のなかでもとりけ評価が高い作品だそうですね。「自分で問いをみつけ、気が済むまで挑戦し続ける」という本当の学問の楽しみを追求することの魅力が存分に描かれているから、理系に多い森博嗣ファンさんのよだれがたれるのも頷けます。疲れ果ててベッドに倒れた夜を何度も過ごしても、「こんな辛い思いはやめたい」と思いながら思考を続けても、次の日には「今日はあれができる!」と勢いよく研究室へ行くこのかんじ。楽しそう。勉強楽しそう。科学というものは「実験してみて、きちんと結果としてあらわれる」ことが目に見えるから、なんだろう「うだうだ悩むよりやってみればいいじゃないか」という雰囲気があまりにも当たり前すぎて、うだうだの段階で止まることが得意な私みたいな人間がマッハで置き去りにされるんですよね。

そんな素敵な本だけど、最初に思ったのは「本の後ろにあるあらすじと違う!!」でした。
講談社文庫のあらすじはこんなかんじ

文字を読むことが不得意で、勉強が大嫌いだった僕。大学4年のとき卒論のために配属された喜嶋研究室での出会いが、僕のその後の人生を大きく変えていく…(以下略)
これを読んだときに「おっ!勉強を諦めた人が真の面白さにようやく目覚めるのか…!」と思い込んで、今まで好きな分野であっても深く極めてみようと思うけど「やりたいことではあるけど、めんどい」 という気持ちが先行し不真面目を極めた私にぴったりなはず!!!!と鼻息荒くしたわけですが、主人公は文字がはやくよめないという特徴があるものの、好きな電波の分野の難しい本を、小学生で「考えて考え抜けばわかる」とあっさり読めてしまっていて。

それ以降好きな分野は自分で勝手に授業とは異なる学びをどんどん進めていて、あまつさえ興味のない文系の勉強もまじめにやり、ちょう苦手な英語で書かれた論文も当たり前のように読むという、えっ、それで勉強が嫌いとかいってるの?本気で言ってるの?っていう感じで、話にならないわけです。

それもそのはず私の期待が方向違いなだけで、主人公の橋場くんが嫌いな勉強とは、「教科書に書いてあることを教師が読むだけの、テストのための、答えがすでに用意されている勉強」のことなのです。もう答えがすでに決まっていて、それを導くためにするのは勉強ではなく「労働」ではないか、と橋場君が考えています。そう考えると、確かにそういう単純労働に楽しみを見いだすのは大変そう。

というわけでこの本は勉強が大嫌いな僕ではなくて「大学までの労働的な勉強に絶望してうんざりな僕」なのです。

そんな橋場君が卒論研究で出会った院生・中村さんに出会って学問の面白さに目覚めるのだけど、そこでも「喜嶋先生に影響うけまくったノリで書いてるわりに、卒論終わるまで喜嶋先生でてこないやん…?!」と2度目の肩すかし。
その中村さんとは喜嶋先生のお弟子さんなので、彼が語ること・指導してくれることはすべて喜嶋先生の言葉や態度だ、ということなんだろうけど、先生が出てくる前に出てきた中村さんがあまりにも的確な指導を橋場君に施すので、後から出てきた喜嶋先生のすごみが伝わりにくいっていうか…いや、中村さんの方がすごくない?っていう…いくら喜嶋語録を伝授してるだけだとしても、面倒見良すぎるし、言うことがどんぴしゃすぎるし、中村さんすごいんだもん。

こんなかんじでスタートダッシュでつまづきまくったので、単純に「素敵な空間…感動した…!」といえない誤読(というか勘違い)野郎なのですが、研究者の凄みがひしひしと伝わってきて、圧倒されました。自分の専門の文献は全部あたってその上で「まだ解明されていない問いを見つけることから研究が始まる」とか。「学問には王道しかない」という言葉。科学の前ではどんなに偉い人でもみんな平等で、論文がでるたびに審査があって公平にジャッジされるという世界。

自分で問いを見つけ答えを探し続けることの過酷さに心身を壊したり自殺してしまうひとが結構な割合でいることや、定員割れを防ぐためレベルを下げざるを得ない大学院の状況など、大学の裏事情も事細かく書かれていて、おもしろいです。
その中で出世を拒みストイックに研究を続ける喜嶋先生。感情をはさむことを嫌って、言葉が文字通りの意味で伝わるように直接的にしか言わないスタイルは、不器用に見えるけど、言葉にたいして誠実なだけであるという。夢に、やりたいことにひたすらひたむきな先生と、しがらみに囲まれて軌道修正をして行かざるを得ない世間との対比が印象的です。

最後はなんでああなるのか…?あれがミステリだとしたら、私はこの本を読み返さないといけないですね!というか、肩すかし部分の期待を全部はずしてクリーンな心でもっかい読もうと思いました。

そんなこの本で心に残ったところ
研究というものが、大学の四年生までのいわゆる「勉強」とどう違うのか、と言えば、一番大きいのは、教えてくれる人がいないこと、覚えなければならないことがないっこと、つまり、外の情報を頭に入れる作業ではない、という点だろう。[略]頭の中に入れる行為というのは、食事と同じで、自分に対するインプットだ。入ってくるものが多すぎたり、同じものばかりだと飽きてしまう。眠くなってしまう。これは、躰がそんなものはもういらないと拒否しているからだ。授業でも眠くなってしまうのは生理的なものだからしかたがない。

中学から大学まで寝まくった私にはとても優しい文章です…。食事と排泄のバランスと同じで、詰め込むだけでは無茶であるという考えですね。眠くなるのはしかたないんだ!(正当化)



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