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2016/03/02

今日も声が聞こえる

森博嗣さんのエッセイを爆読み中。「作家の収入」とか「科学的とは~」とかを経て、「つぶやきのクリーム」シリーズは3冊ほど読み、「100の講義」シリーズをhontoでまとめ買いしてそちらにうつっています。
なんどもなんども出てくるトピックほど繰り返しすり込まれていくからよく覚えている。

その中で「努力とかやる気とかそんなこといってるひまあったらとにかくやれ」みたいなのがあって、かなり耳が痛いので胸に何度もふかーく刻まれました。(ちなみに森博嗣さんは書いたことをまるっと覚えず抽象化してなんとなく記憶することを大変よしとする方です)
ちょうど忙しくなっているところで、普段の仕事+うちに持ち帰ってやるものがあるのですが
私は
「仕事をうちでやる」
というのが最悪にできなかったんです。

いつまでもだらだら怠けて最後に慌てるタイプ。フライヤーとかもそう。辛い。苦しい。みたいなことをちょっと前に書いてましたね!

破れる殻だろうか~デザインという苦痛~

今読み返してみるとなんかすごくかわいそうな奴だなと思います。そのときはすごく必死にのたうちまわりながら書いていたと思うんだけど、客観的にみるとちょっとうざいですね(笑)

でも森博嗣さんの言葉をよむたび
「好きなことやりましょう」
「時間が必要?つくりましょう」
「ないならなぜないのかを考えましょう。あのときやるべきことをやらずに怠けていましたね?」
「金もないなら何かを我慢して捻出することは必ず可能です」
「つまり自由に好きなことができないおまえはその努力をしていない」

という、圧倒的な勝利の方程式がでてくるわけです。
森さん自身が「子どものときは面倒くさがりでやりたくなさすぎることがあったので、仕方なく前もって準備だけするようになったら、しぶしぶでもやるようになった」というエピソードも添えて。

しぶしぶでもやる、やる気がでるのを待たずにやる、とにかくやれ、そしたらできてる

という地道な実践の積み重ねでしか、なりたい自分には近づけないよ、と。

こういうことは何万回もあらゆる本でみてきたんだけど、森さんのエッセイ群でようやく、ほんとうにようやく、腰をちょいあげるくらいまでこぎつけることができまました。

たとえば急いでる朝、たまってる食器みて「今すぐに少しやれば少し減る…ぜんぶじゃなくても少しでいいから…」とまるで森先生に見られてるかのように動いてみたり。
もういいや~ 今度やろ~と寝転がった瞬間も「少しやれば…」という声がきこえてくるんです。

まあでもいつも誘惑に完全勝利しているわけではなくて、負けるときもありますけど、勝率があがってきたかんじがします。
結局自分の運命を決めるのは今の自分の行動だけだものなあ

これからも感情に行動が邪魔されないよう、両者をわける訓練を続けていきます。

2015/08/03

破れる殻だろうか~デザインという苦痛~

illustratorCCは立ち上がるの遅いけど操作してるときのパスの動き方がすき。

さて今回の議題はデザインです。デザイン。私がとてつもなく苦しめられるデザイン。
できればイラストレーター、グラフィックデザイナーになりたいなあと子供の頃から思ってきましたが、あれこれ理由をつけて何もやらないタイプでここまできました。ただの面倒くさがり屋といえばそうだし、もしかしたら本腰入れてやらないことによって「私には未知数の力があるからいざというときそこにゆけばよい」などといった残念きわまりないスピリットがこびりついているからかもしれません。そういうタイプ、よくいますよね、小説家志望で一作も書き上げない人とか。わかります、あなたの気持ちはわかります。

とはいえ、仲良くしていただいているひとたちがイベントやるのを仕事にしていて、フライヤーやポスターのデザインはたまにお願いされることがあります。とてもありがたいです。
でも
正直言って
毎回 ちょうちょうちょうやりたくない!って思いながら、現実逃避し続け、これ以上はもう先延ばしできない、というところで慌てて取りかかり始めています。大学のレポート課題かよ。
デザイン以前のところで拒否反応を起こす私が情けないし、とてもプロでやってけるとは思わないですが、以上が制作時の私の状況なのであります。

デザイン業務は主にパソコンでできちゃうので、インターネットという危険が常に隣で待ち構えています。制作中も15分がんばったら1時間インターネッツ☆というのはザラで、結局仕上がりは朝の4時に。少し寝て仕事にいかなきゃ…というかんじになります。なんかこう、クリエイティブってそういうことじゃないじゃん。もっと時間かけてアイデア膨らましていって、すごく意味のある内容をつくるじゃん。

でもいつだって私の期末テスト前夜みたいな制作スタイルは、とりあえず終わらせろ!だけが目的になってしまって、つくりながら泣きそうだしつらくてたまりません。
ちなみに学校のテスト勉強やレポート課題のときも、同様にぎりぎりまで先延ばししていたため、悲惨な結果ばかりでした。
なにが苛つくかというと、課題もデザイン業務も、やってるうちに乗ってくるんですよ。そうするともっといろいろ考えてやりたいのに、時間がないんですよ。そしてコンセプトもかたまってないから時間がかかる。乗ると楽しいのに、そこまでいけたときには時間が足りなくて、朝方までやってるからコンディションもひどくて、そこが悔しいのです。

こんな状態を一言で言うと自業自得ってやつなんでありますね。

私だってカフェでさわやかにコーヒーでも飲みながらアイデアを出して、きちんと考えてから作業に入りたい。でも朝や昼にカフェに入ろうものならパソコン開いたところでインターネッツ☆なんですよねえ。フォント集めよう~と思っても、ネットサーフィンにたっぷり1時間かけてから「あっ、いけないフォント探すんだった」と気づく。

同じ過ちを犯したくないのに犯してしまう。
でも向いてないんじゃないの?では片付けたくない。
本当は本当は心の底からしっかりやるべきことに取り組みたい。だって嫌いじゃないもん。本当はわくわくすることのはずで、大変ながらもとっても素敵な体験のはずだもの。
世の中には私みたいな人がたくさんいるって知ってます。procrastinate(先延ばしにする)という単語もきっちり覚えています。でもね、でもね!やるべきことを他の楽なことより最優先にできるって、そこに行き着けたら、道が開けるとおもうんです。というか、それでしか開けないと思うのです。これを仕事にしたら、避けてる暇ないでしょう?時給換算でも割に合わないのです。

だから、どうしたら逃げずにデザインできるか?

今まで考えたことなかった気がする。考えて実践していくことによって改善できるのかどうか、試してみたいです。


デザインの何がつらいって

  • アイデアわいてこない
  • 技術的に難しい&やりかたがわからない
  • 技術的にできるけどめんどくさい

このあたりですね。たぶん怖いんですね、何もでてこないけどどうしようっていう気持ち、世の中にはこんな細かいデザインできるひとがわんさかいるんだ、と気が遠くなるかんじ。
その辛さ&怖さに向き合いたくないから、先延ばしが続くのだよなあ。


それでも辛さを超えてアイデアが降りるだとか、粘ったらできたとか、自分の殻を破ってみたい私は本当に、どうしたらいいんでしょうか。
というのをこれから考えてやっていこうと思います。
まずは、考え続けることかなあ。
名越先生の著作を読みあさった後だから推測できるけど、きっと心の持ちように9割くらいの解決策があるんじゃないでしょうか。えーん。がんばる。



2015/07/04

日々の暮らしが与えるもの

松尾たいこさんというイラストレーターがいる。夫は売れっ子ジャーナリストの佐々木俊尚さん
私は前々から松尾さんがロールモデル。彼女は32歳で仕事をやめ絵の学校に通いイラストレーターデビューを果たし、成功をおさめている。
それと夫がこれまた稼ぎまくってるうえに料理はぜんぶ彼がつくるのだ。たいこさんのエッセイによると、手伝いの意味でスーパーの買い物についていくと、夫は一人で選びたいからか邪魔そうに「お菓子でも見てたら」と言うのだそうです。

「お菓子でも見てたら」
未来の夫に言われたい最高のセリフとして、私はそこにマーカーを引きました。(kindleだけど)

すなわちたいこさんは私がやりたい職業と欲しいタイプの夫とあと富と名声を手中にしているわけです。素晴らしい!私もやりたいことやって金を稼ぎ、いつかは高価なソファで成功体験をつづるオシャレなエッセイを書くぞ!とやる気にさせてくれます。

という皮肉交じりのこといってますけど、たいこさんの絵はとても素敵です。山とか木漏れ日とか、自然を描くときにナチュラルにピンクをつかうのですが美しいです。画集もちろん持ってます!!

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話かわって
ここ1ヵ月で「片付けができない散らかし魔」から「暇さえあれば掃除してる掃除魔」に変わった私
今までは掃除って、「増大していくエントロピー(散らかり具合)に対するその場しのぎ」の側面がつらすぎて、やらないうちに気づけばめっちゃ汚れてるみたいなかんじで、負のサイクルから抜け出すことができずにいたのです。

でもこんまりさんの本を読み部屋を整えていくと、素敵な家にしたくなるので掃除もしようかなと思えるようになったのと、ものが減ってスッキリしたぶん掃除がしやすくなるので、そんなに苦でもなくなりましてね。

なので、こんまりさんはお風呂に入るたび雑巾で風呂場を拭いているだけでお風呂掃除に洗剤は使わないとおっしゃっていたので、真似してみたんですよね。毎日。
そしたら今まで3週間くらい続いているんですよ…恐ろしくないですか…毎日ですよ…

で、気づいたことは、汚れをためないようにその場その場で対処しておくと当たり前に溜まらないので、気軽に掃除ができるんですね。溜めてしまうとみるのも嫌になって掃除からどんどん遠のいてしまうこともあるので、意外に私にあってる方法だということがわかりました。

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こんまりさんにならって家をきれいにしていると、自然と日々の暮らしに目が向きます。片付けは日々を暮らしやすくするためにやるからです。すると、掃除・片付け以外に大事な家の中でのイベント、食事にターゲットが移るわけです。

そこで以前買っていた佐々木俊尚さんの「家めしこそ、最高のごちそうである」を読み返したら素朴なご飯を自分でつくることの大切さがにじみでていて、とても楽しく読み返しています。

料理はほんとに苦手というか勝手がわからないからできればやりたくない派だったんですけど、自分のために自分で食事を用意するって、とても自分を大切にしていることになるんですよねえ

たとえ総菜で間に合わせたとしても、パックから取り出してきちんとお皿に盛ってあげるとか。そういう些細なところでいい加減にしないというのがいかに影響を与えるか、そういうことを考えています。

少しずつではあるけど料理することの楽しみみたいなものも実感できているし。
このまま生活力を一気にあげていきたいです。
「お菓子でも見てたら」って言われたいという気持ちは捨てないけど!!!

2015/06/16

片付いてしまった

散らかすという行為は問題の本質から目をそらすための人間の防衛本能です。

といきなり人間として駄目だしされるところから始まる、こんまりさんの片付け本。

こんまりさんこと近藤真理恵さんのことは、最近まで知る機会がなかったのですが、もっと早く出会いたかったです。「片付け」という単語ににじみ出る「めんどくさくてやりたくないけどやらなければいけない」という後ろ向きなイメージが完全に払拭され、「片付けはほかでもない、自分のためにやるのである」と1000%前向きに取り組めるようになる本です。

Kindleポイントが半額還元されるときに「人生がときめく片付けの魔法1」と「2」を揃って購入して、あらゆるところにバーチャルなマーカーを引きまくって、むさぼり読んだあとには
「かたづけ!!!しなきゃ!!!!」と鼻息荒く洋服をひっぱりだしていました。

片付けはもともとめちゃくちゃ苦手で、引き出しの中にごちゃごちゃに放り込んでどこに何があるかわからないとか、家に帰ってきたら上着をとりあえずいすにひっかけたままにしておくとか
ベッドに投げ出しておくとか、それがどんどんたまっていくとか。。というのをこれまで生きてきてずーっと繰り返していたのです。が。

こんまりさんの本に忠実に従って片付けをしてみたら、洋服を出しっ放しにすることがなくなりました。そのうえ毎日鞄からすべてのものを取り出すなんていう、きれい好き上級者みたいなこともできるように。
こんまりさんは言います。血液型や性格によって片付けられない人がいる、なんてことはありえない。片付けはマインドが9割だと。本当にそうだったようです。今ではテーブルにものがおいてあるとすぐ気になってしまうようになりました。ミラクル。

捨てるものを決めるのではなく、残すものを選ぶという発想によって「いやなもの」のことを考えるいよりも「好きなもの」のことをより多く考えられるようになるので、自然と片付けそのものが楽しくなる。

そして「片付け」そのものが目的なのではなくて、片付いたきれいな部屋、お気に入りのものに囲まれた空間で幸せな時間を過ごせるための手段として片付けを位置づけているのがとても良いです。
特徴的なのは、こんまりさんが「もの」や「おうち」を人間とおなじくらい大切にしていること。
ものに話しかけ、家に話しかけるその姿に「オカルトっぽい…」と引く人もいるようですが、私はこれめちゃくちゃ大事だと思います。そこにあるものや家じたいを大切にすることは、「場」そのものを大事にすることにつながって、場所の力みたいなものが発揮されるはずだからです。

最近、精神科医の名越康文先生の著作もむさぼり読んでるのですが、先生も「場の力」のすごさを語っていて、良い場も悪い場も、人に与える影響はおおきいのだと。自分の居場所がどこにもないと思っているのなら、居場所を探すのではなくて、今いる場を自分の居場所となるように自ら育てていくべきなのだと。

居場所があるって、つまるところ自分が安心できるところであって、自分が安心できるというのは、何か起こったときに自己治癒力にもなれるというわけであって、何かしら疲れることだらけの毎日をなるべく楽しく楽しく暮らすためには、必須なんですよね。

ということを思っていたら、文筆家の千野帽子さんもそういうようなことをツイッターでつぶやいていまして
自分に鈍感な男、自分に敏感な女 「不機嫌」についての考察
著名人が皆似たようなことを別々のアプローチで見つけているのが不思議だし、いろんなことが一気にリンクして楽しいです。

話ずれまくりましたが、片付けはただものを減らしてすっきりするだけじゃなくて、「もの」と、ひいては「場」ときちんと向き合う行為だということです。そして自分の身近なものにきちんと向き合えば向き合うほど、自分がどんどん楽になっていくと。

断捨離や片付けにかんする本はやまほどあって、きっとどの本も突き詰めていけばみんなおなじ境地にたどり着けるとおもうのですが、そのしくみみたいなものをきちんと言語化できているのがこんまりさんの本の魅力で、だからこそ世界中に翻訳されているのだろうなあと思いました。

「片付けを終えた人は人生がドラマチックに変わる」らしいですが、そんなことばにひがんでみせるのではなくて、素直にそうなりたいなあと思えました。


たくさん思うところはあって、こうしてまとめてみると書き切れない要素がぽろぽろこぼれていったけどまあいいか。

2013/02/20

文章B

昨日自分がわかったことがなんだったかというのが今さっきわかった(正確には『言葉にすることができた』)
ものごとを理解できるのはそれがおこった後になってからということ
それを理解すべきなのはものごとがおこっている最中であるにもかかわらず、です。

現在おこっていることについて完璧に理解したい、と思うのは当たり前のことなんだろうけど、たぶんそれができている状態というのはありえないのではないか?
あるとしたらそれは同時進行で理解しているのではなく、高確率で的中する未来予測なのかもしれない。
そういうふうにおきなおしてみたら、なんかがんばれば習得出来そうな気がしてきた。要チェックや。

ものごとを理解することがものごとに必ず遅れてやってくるのにはどういうメリットがあるんだろう。それが可能になればあらゆるミスが軽減されるのに。

これまた職場の話になるのだけど(こんなにいろいろ考えさせるんだから、このきつくて自分に明らかに向いてない仕事を紹介してくれたあの子にはもっともっと感謝しなくてはいけない)、前任者がのこしてくれた申し送り事項を読み込んで本番にそなえようとしていた、去年の11月時点の私の試みは、完全な失敗に終わっている。「この仕事きついぞー、こういうところ見落とすぞ~」と丁寧に残されていた警告たちは、大多数が必要なときに把握できていなくて、あとから「ああこういうことだったのか」「ここにかいていたはずなのに」とあとからむなしく確認されるだけだ。
自分でも1月にその子にむかっていったのだ。「この仕事がどういう内容であるか分かるのは、たぶんすべてが終わってからなんだろうね?」と。

おそらく、この問題を解決するのは想像力しかないんだろうなあと思う。体験しないとわからないことをなるべく前もって感知するためのシミュレーション。そしてその想像力を助ける材料は過去の体験になる。過去におきたことから未来を予測して、現在を理解する。こんな感じかな。
こういうことを考えると「現在」という概念の曖昧さに驚く。言語に現在形なんか必要ないのでは?と思うほど(笑)。過去形と未来形だけでやっていけそう。

現在を同時進行で理解することができない、という考えは年下の子をみていてもおもう。私が何年か前に経験したイベントを今まさに経験している人は、いますごく苦しそうである。そして私はその人の様子を見ながら、あああのイベントはこういうものであったと理解する。今ならその苦しみの原因をつきとめて解消することだってできそうなのに、それが必要な時期は何年も前に過ぎ去ってしまっている。こういうことは人から聞くだけでは自分の理解として体にしみこむことはない。結局自力で編み出すしかなくて、そしてその作業は経験そのものから必ず遅れてしまうのだ。だから先に経験したアドバンテージをつかって力になりたいと思っても、その思いが根本的な解決につながることはない。と思う(弱気)。

いつだったか岡田斗司夫さんが「悩みのるつぼ」で、クラス内のポジショニングに苦労している中学生の悩みにこたえたときがあった。そのとき岡田さんは

あなたの悩みは残念ながら誰にも解決できません。でも誰かの悩みを聞いてあげると、少しだけ軽くなりますよ。僕もいま、中学時代のことが少しだけ軽くなりました。ありがとう。
と締めくくったのだけど、これも同じ事だろうなあと思う。歴史が繰り返すのは歴史が繰り返されたことに気づくのが、それが繰り返されたあとだからなのだ。
経験と同時に理解を得るのが不可能でも、そのシステムを知っておくことが大事だと思う。経験している最中は全体を俯瞰することができないだろうけど、「あとで今おこってることが綺麗に整理されて分かるんだろうなあ」って考えるだけで、少しゆとりが持てる気がする。今分かりたいことなのに今分かることができないとしても、いつかは分かる日がくる。酷い話だけど(笑)。

だから私が過去に経験した苦しみを今まさに感じている人には「想像して!」って叫ぶしかできることはないんだろう。

こういう思考のプロセスをもっと前にしていた誰かが、私をみて「わかるわかる、私もそうだった」って思ってくれて、なんとなく心が軽くなってくれたりしたら楽しいなあ。


という謎の連日の考え事でした。

文章A

2月は仕事でメインイベントがあり、2月16日だったのだけれど、それの準備やらなにやらで1月下旬から吐きそうな日々が続いていた。忙しい、というよりは精神的に辛い、のほうがしっくりくる。根っからの怠け者なので、人のために動き回って準備する、という職場での業務内容はほとんど苦行にちかい。

でも忙しいつかれた死ぬと弱音ばかりはいているわりには、今月もけっこう絵を描いている。kpopイベントのフライヤー絵と「野球大好き」の表紙絵はもちろん、けぽぷのfanartなら4枚は描いている。なかには次の日しんどい用事があると分かっていて、「寝たら明日になってしまう」と怯えながら描いたものも。ストレスがたまってたまってどうしようもないときは、1枚描き上げないと気が済まない。たぶん仕事のことでどうなるかわからなくて怯えると、自信がなくなるので絵を描くことで自分の特技を再確認しているのだと思う。なにかひとつのことで自信がなくなると自分を全否定したくなる衝動にかられるので、絵が描けて本当によかったなあと思う。

ところでけぽぷ専用のtwitterではおもに英語圏のアカウントばかりをフォローしているのだけど、知り合った子が最近男の子とつきあいだして、毎日そのことについて詳細に報告してくれる。内容はなかなかあけっぴろげで、「課題しなきゃいけないけど彼とするのに忙しくてできないー」なんてことも普通にいったりするので、どうしたものかと思ったりするんだけど。

たぶん、私以外のひとはこんなふうにもっと他にやることがあるんだろうなあと思う。絵を描くのが楽しいからって他のことが楽しくないわけじゃない。もっと他にも体験したいことがいっぱいあって、スケジュールは均等にそれらのための時間を確保しており、バランス良く生きているのだろう。三角食べみたいな。そういえば私は三角食べができない。

大学での友達が卒業間近になったとき私にむかって「前とくらべるとずいぶん丸くなったよね」といってくれたのを思い出す。その頃よりもさらにどんどん丸くなっているとも実感する。まだまだ人並み以上の頑固・自己中は健在なので、自尊心には毎日邪魔されまくっているんだけど。
それでも最近は少し時間をおけばものごとを整理しなおして、自分が反省すべき点をちゃんと確認できるようになっている。過ちをおかしたときや恥ずかしいことをしてしまった時点では、それを認めたくなくてあれこれ言い訳をならべるのはまだなおらないけど、いったん落ち着いてしまえばもう大丈夫。これが瞬間的にできるようになったらそうとうまん丸なんだけどね。

すぐに省みられない理由は「理想の自分」像を保持しつづけているからだと思う。こんな簡単なことができない自分、仕事でつかいものにならない自分は理想像のなかにはもちろん含まれているはずがない。ので、自分がいまだ「そういうレベルの人間」であると分かったときは認めたくないのです。
そして醜い言い訳ばかりをならべているときはとても気持ちが良くない。間違ってるとわかってるから。瞬時に認められるようになるには、たぶん修行が足りないというよりは、ものごとの見方が少し間違ってるのだと思う。視点をかえたら出来るようになるんだろうな。

なのでありのままの自分をみとめる時間は言い訳の場面とは正反対にひじょうに気持ちがよい。先に頑固な自分を発散させてあるので、あとは素直になるだけだから。人に指摘された間違いもここで自分のペースでゆっくりとかみ砕き、反省の材料にする。カチンときたことはだいたい正しいので、ここではたいへん重宝される。

自分にはできないことがあると認めるのは最初のうちは苦々しくても最終的にはけっこう楽しめることもようやく分かってきた。「認める」というのはそれくらい大事なことなんだなあ。

そのほかにも自分が好きなモノ、どうしても譲れないものなんかを認めていく作業はなかなかに楽しい。
その事実の善し悪しはまた別の問題で、いったん「そういうことなのか」と確認すること。
このところは仕事でも普段のふるまいでも反省することが多々あるので、反省はしっかりするようにしている。それらのすべてが最初はとっても苦しくて、セルフ見積もりよりはるかに出来の悪いありのままの自分から逃げ出したくなるけれど、いったん認めてしまえばあとは妙な楽しさが待っていることがだんだん体得できつつあるので、私がもっともっと丸くなるのはすぐそこなのではないか。

なんの話をしているのかわからないのは私も一緒です。

とにかく。見栄っ張りのひとだって一人でいるときは素直です。

そんなもんです。


2011/05/25

ぐずぐずと先延ばしにする

5月に入ってから、英語の勉強(隠語)を続けています。
ええと、どういうふうに隠語かっていうのは秘密なんですが、とにかくとっても易しい言葉で書かれた小説を読みまくる作戦です。
前の記事にもあげたロンブ・カトーさんも、「外国語習得には読書しまくるしかありませんよっ」とおっしゃっていたので
あんまり間違ってない方法だと思って楽しんでいます。本当に易しい単語しか出てこないから一気に英語力がつくわけではないんですけどね。

で、最近覚えたお気に入りの単語が「procrastinate」です。
意味:〔やるべきことを〕遅らせる、ぐずぐずと先延ばしにする

ほら、なんかぐさっとくる単語でしょう。辞書を引いた瞬間「なんだ私か」と納得してしまいましたやん。
しかしこの単語、意味的にはとても親しみやすい、日常にあふれてる感じがするのですが、妙に長くてかしこまった字面だなーと思ったので調べてみたら、wikipediaに項目があったので、勉強もかねて(これは隠語ではないよw)訳してみましょうね。

Procrastination
http://en.wikipedia.org/wiki/Procrastination

In psychology, procrastination refers to the act of replacing high-priority actions with tasks of low-priority, and thus putting off important tasks to a later time. Psychologists often cite such behavior as a mechanism for coping with the anxiety associated with starting or completing any task or decision.[1] Schraw, Pinard, Wadkins, and Olafson have proposed three criteria for a behavior to be classified as procrastination: it must be counterproductive, needless, and delaying.[2]
Procrastination may result in stress, a sense of guilt and crisis, severe loss of personal productivity, as well as social disapproval for not meeting responsibilities or commitments. These feelings combined may promote further procrastination. While it is regarded as normal for people to procrastinate to some degree, it becomes a problem when it impedes normal functioning. Chronic procrastination may be a sign of an underlying psychological disorder.

心理学において、procrastination(遅延)は、優先順位の高い行動を優先順位の低い作業におきかえること、ひいては大事な作業を先延ばしにすることをいう。心理学者はたびたびこのふるまいを、作業をはじめたり完成させたり、決断を行うことに関連する不安への対処メカニズムの一例として挙げている。Schraw, Pinard, Wadkins, Olafsonさんたちは、「遅延」と分類される行動には3つの基準があると主張している。それは非生産的で、不必要で、先延ばしにするような行動であることだ。
遅延行動をおこす理由にはストレス、罪や危機の感覚、個人的な生産性の低下、および責任や義務を果たせないことによる社会的非難などがある。ある程度の遅延行動は人々にとって普通のことであるが、正常機能を妨げる場合には問題となる。習慣的な遅延行動は内在する精神疾患の兆候となることもある。


ハーイ!私のことですかあー!
じゃなくて、あまりにもぐずぐずしすぎるとやんでしまうよっていうことですよね。なんという簡潔なまとめ……これ和訳する必要あったんでしょうか。でもけっこう時間かかったから残しておきますね。
ていうかこの単語便利なのに何回みても覚えられなかったから、こうして意味を和訳してみたわけです。
やっと覚えたよ!procrastination!(そんな元気に発する単語ではない)


あと、ちょっとネットを徘徊したらこんな論文みつけました

大学生の完全主義傾向と先延ばし行動の関係について
ざっと読んでみると、レポートを先延ばしにしがちな理由には「不安」や「失敗へのおそれ」がもっとも多く、「完全主義傾向」はあまり関与してなかったということらしいです。
えーまじでー?
私どっちかといえば完璧にやりたいがために先延ばしにしていたような気がする。
なんていうのかな、やるならもうきっちり素敵にレポートを仕上げたいんです。でもそのためには準備がいっぱい必要で、自分の掲げた「完璧なレポートを仕上げる私」を実現するための前準備がめんどくさくて先延ばしにする……結果てきとうなレポートが仕上がり、自分が嫌になる。という感じだったんですけどね。


conclusion:己の敵は己。いつだってそうさ……

2011/05/01

belonging to the English world

Just read my blog again and found that at the first time I wanted to practice English by using for writing articles. In some of the earlier posts, I did lol. but it's kind of really odd that non-native uses English for just writing posts if he/she doesn't  expect many foreign people visit. I mainly show this blog to Japanese. It's obvious Japanese people feel more comfortable with reading Japanese than with English. So when we specially use English, it's natural we need particular aim for it.

Then why i use english on this post... recently I have some opportunities to read English to know about k-pop. of course I feel strange to know Korean people with English. It's because reading English is the easiest and the fastest way to get information for me.

The fans of k-pop are from many countries like Japan, Thailand, US, China, Vietnam etc. You can see various kinds of subtitles putting on Korean on YouTube.  Among them, English version is the fastest and I'm familiar with it the most (except Japanese, of course). On tumblr, I also read all of about Super Junior in English. It means in their conversation, in twitter posts and in interviews of magazine, they always speak English in my mind lol  I really can't understand Korean or Chinese, so it's like they're native English speakers even I'm watching they're talking in their language.

To know about something of foreign country, learning the language spoken in the country is the best. However, English always becomes the shortcut. I'm happy I can understand English at some level. It makes the world easier, and simpler.

On the other hand, I love to see some languages I can't understand at all like Korean, Chinese, Russian, Arabic and so on. They're totally different from Japanese and English both phonetically and literary. For me they're just like pictures or meaningless patterns. Hope someday I can handle at least one of them.

Don't have any conclusion. Just thought how I am surrounded by English.

2010/10/09

ロスタム先生の脱ネガティブ講座

ハロー、Rostam Batmanglijです。Vampire Weekendというバンドでキーボードを弾いたりサンプラーのプログラミングをしたり、音源のプロデュース、ミキシング、オーケストラアレンジなどなどを担当しているよ。え、そんなに役割が多いと他のメンバーより収入は倍以上だろって? HAHAHA、世の中お金じゃないのさ(*゚ー゚*)

ところで考え事をしているとき、心の声がネガティブ思考でいっぱいになったことはないかい?特に夜になると、そういう傾向が多く見られるかも知れない。今日はその対処法を教えよう。
そういうときは、まず自分自身に問いかけると良いよ。
・血糖値低くない?
・最後に食事したのいつ?
・何か怒ってる?
・不安を感じてる?
・もっと一人でいる時間が必要じゃない?
・もっと大事な人と一緒に過ごすべきじゃない?
・最後に自分でやるときめたことを成し遂げてからどのくらい経つ?
・自分のエネルギーを集中させている?
・それとも今は足踏みしている状態?

次に、鏡を覗きこむたびに、映った自分の姿をとにかく見つめよう。そしてその人に向かってこう言うんだ。「大丈夫、なんとかなる」ってね。
それでおしまいさ。ね、簡単でしょ?

じゃあ、僕はそろそろ新しい曲作りでも始めるとするよ。もう長いこと発表してないから鈍ってきているんだ。12月31日までには必ず仕上げるね。(*゚ー゚*)チャオ!


>・)))彡


ロスタムくんがtwitterでつぶやいてたのをもとにかいてみました。
うわあ当たり前のことしかいってねえって正直思いました。
しかしダイエットをするためには何をすべきか、ということを理解してない人がいないように(摂取カロリー少なくすればすむ話)、わかっていてもできない、という問題でもあります。

悩む、という状態は同じところをぐるぐる回っている状態のことだと岡田斗司夫さんがおっしゃっていましたが、まさにそうで、対処しようと思ったらその原因のひとつひとつを特定していくのが即効性あるんですよね。

そういうことをロスタムくんが優しく書くことで、「ああロスタムくんもこういう経験あるんだなあ」とファンの共感をゲットできるわけですね。そんなときに「さあ僕の曲でも聴きなよ」と差し出されたりすれば、もうあなたもロスタムくんの虜。さすがVampire Weekendの裏番長……!

ロスタムくんが歌う"Campus"-Vampire Weekend

えへーVampire Weekendバージョンより好きだなー。VWのアルバムではこの曲飛ばしちゃうんですよ……

しかし悩んでるという状態はそう簡単になおせるものではない、という思いこみがあるのも事実。ていうか、そもそも悩みを解消するつもりでない悩める人もいると思うわけです。悩んでて辛い私を分かって!的な感じ。
……実は私もそういう傾向が長年ありましてですね、最近は控えて解決策を探す方向へシフトしている途中ですが、たまに気を抜くと「死にたい」などと普通に口からでてきてしまうんですね。またはじまったーと自虐気味にあざ笑うことも、悪循環の元凶なり。
そこをグッとこらえて、嫌いすぎて見たくもない自分の顔をちゃんと見て、肯定する、というのは大人の対応なわけです。
否定のスパイラルから抜け出さないことには「悩まない」状態に持って行けないんですねえ
分かってるんだけど「ここで状況に妥協したら負けっぽい」という気持ちが邪魔をするのはなんでだろう。

「悩みが多くてかわいそうな私」に興味があるのは「私自身」だけだというのに。

Rostam Batmanglij (twitter) 参考ポスト1 2 3 4 5

2010/09/12

ひきうける。

最近好きな大学教授のついったをバカ読みしてます。なにせたくさんつぶやくものだから追いつくので精一杯。んで茂木健一郎さんがご自分のアイコンを「より鮮明でない」ものに変えた記念にフォローしてみたら、就職活動についてやんやいっていました。
茂木さんみたいな有名人が周りに与える影響力の大きさは無視できません。それはtwitterだとより明らかになるようで、彼が勇んで連続postをやろうものなら、すぐに同じ方向を向く人々があらわれます。その教授もそれに呼応するかたちで、就職、はては若者についての考えを連ねています。

というのも、就職難はこれからますます酷くなる一方だという報道が相次いでいるからです。大手の日本企業はもはや日本人ではなく、アジアの「より優秀な」学生を求めています。

その背景にはもちろん「賢くない」日本の学生たちがひしめいているということになります。マーケットの拡大、よりよい人材の確保、どちらも満たすには外国人を採用する方が効率的。その気持ちはわからんでもない。
では我々日本の若者はどうしていったらいいのでしょう。
八方塞がりとも言える状況なだけに、難しいですが一刻も早く解決が求められます。

そんなときにこういう書き方をされるのはすごく心外。
日本の学生の就職「超」氷河期は永久に続く - 藤沢数希

しかし実は第三の理由がある。それはそもそも日本の学生に魅力がないのだ。日本人は大学入試まではかなり勉強するし、実際18歳時点での日本人は諸外国と比べても相当に知的能力が高いと思われる。しかしその後は、ほとんどの日本人は全く知的訓練を受けることなく大学で無為に何年も過ごすことになる。とりわけ文系学部の大学教育は目を覆いたくなるほどひどい状況だ。筆者も日本のいわゆる一流大学の学生を面接することがよくあるのだが、たとえば経済学部の学生に基本的な経済に関する質問をしてみてもほとんどの学生が満足に答えることができない。
(略)
一昔前は一流大学に入学しさえすればそれなりの企業に就職できたし、大学での勉強はあまり重要ではなかった。しかしここ数年の間に出口の部分が大きく変わった。知的能力に乏しい日本の学生に、日本の企業は突然のようにノーを突きつけるようになったのだ。この傾向は今後も変わらないだろうし、アジアの学生との競争はますますはげしくなっていくだろう。また日本の大企業は海外採用を増やし、外国人を上手く組織に組み込むノウハウを蓄積していくだろう。要するに、日本の学生の就職氷河期というのは景気の悪化による一時的なものではなく、今後も恒常的に続いていくものなのだ。日本の学生の就職「超」氷河期は終わらないのだ。

ここに述べられていることは事実です。世間の人も、そして若者自身も「日本の学生はやる気がない」傾向にあると少なからず思っている。
でも。そこで「そもそも日本の学生に魅力がないのだ」と言い放ってしまえるというのは、すごく大変なことだと思うのです。一見ただの事実確認のように思えますが、そこからは深い断絶が読み取れます。「こんな状況だけど、君たちどうするの?」という部外者からの意見のように思える。つまり「俺たちが若い頃より今時の学生は総じてバカ」と言っているようなものです。

なぜそこにモヤモヤしてしまうのか、と思っていたときに、ちょうど読んでいた内田樹の「寝ながら学べる構造主義」で、レヴィ=ストロースの主張に回答を見つけました。

「彼らのうちであれ、私たちのうちであれ、人間性のすべては、人間の取りうるさまざまな歴史的あるいは地理的な存在様態のうちのただ一つのもののうちに集約されていると信じ込むためには、かなりの自己中心性と愚鈍さが必要だろう。私は曇りない目でものを見ているという手前勝手な前提から出発するものは、もはやそこから踏み出すことができない」(『野生の思考』) (寝ながら学べる構造主義 148)

……やっぱり引用だけ抜き出すと分かりづらくなりますね。私が理解したように読み解くと、世界中どこにでも通用する「正しさ」の概念があって、それは全ての人々に等しく通用する、と言うような考え方は、「自分の価値観をごり押ししているに過ぎない」ということです。人々を取り巻く環境は地域によって違うし、時代によっても違います。だからその都度「常識」や「正解」も変わっていく。昔常識だったものが今後ずっと常識である可能性はきわめて低い。
こういう感じでいいのかなレヴィ=ストロース先生?

ということを踏まえますと、今大人が若者の状況を「学生に魅力がないからいけないんだ」ということは、自分たちの若い頃と今の学生を、取り巻く環境を抜きにして天秤にかけている。でも、もしその大人達が今の状況の中で学生をやっていたら? ちゃんと一流大学に入って就活を命がけでやっているのに、日本企業は外国人を優先させる。もし自分は採用されたとしても、周りにうまくいかない友だちがたくさんいる。受け皿は確実に少なくなっている。でも大人は学生のせいにする。それを受け入れられるでしょうか。

繰り返しますが学生の学力が落ちているのは事実です。でも今の状況のように、「みんな一緒に」頭が悪くなっている、というのは明らかに変です。みんなで一斉に怠けることを選択した結果学力が落ちました、という説明では納得できない。社会構造に原因の一部がないと、そういう現象は起きないはず。
こんなときに学生をしかりつけてる場合ではないですよね。
こういう手こずる問題は、特定の年齢層や機関に押しつけても解決できません。

という非常事態に大人にそっぽを向かれては、困るのです。
すみませんけど知恵をかしてほしいな、とみんな思ってる。若い子だって「魅力がない」と言われたくてなってるわけではないです。
こういうことを若者の私がいってもほぼ甘えてるようにしか見えないかもしれないけどね。

残念ながら私は「負け組」にカウントされてよいといえる底辺な身分なので、どうしたらよいかなんて素敵な考えは思いつきません。つきませんけれども。
ようやくこうして就職氷河期という状況を客観的に見つめられるようになったので、これからガンガン考えていきたいと思います。
これまで身近すぎて扱えなかったんだよね(笑)。今も身近すぎることに代わりはないんだけど、なんかもう慣れてきた。

なので、一緒に問題を引き受けてはどうですか、という提案です。
魅力がない、なんて嘆かずに、未来のためにも。

2010/09/04

電話恐怖に対する一考察

電話。
それは生活必需品でありながら、持ち主の心をむしばんでいく危険な電化製品。
「電話をかけるのが苦手」というひとは社会人にもたくさんいらっしゃることが確認できると思います。それは見知らぬ人に話しかける能力の有無にはあまり関係が無く、社交的な人でも「電話はちょっと」という人もいたりします。

ネットで検索してみても、「どうしたら緊張せず電話できるでしょうか」という悩みはあとをたちません。だいたいの人に共通する悩みなのです。そこまで大勢の人を悩ませるなんて、電話ったら罪な製品……。

悩みに対する回答で最も多いのは「誰だって初めは緊張するものだから、場数を踏んで慣れるしかない」というもの。慣れてないから怖いんだ、という考えはごもっともです。けど、それで「そんなこと分かってるけどやっぱ怖いです><」と言う人の緊張を和らげることが出来るかな。
そう言い放つよりも、電話という伝達手段にひそむ恐怖がいったい何なのかを探っていくほうが、時間はかかっても腑に落ちると思うのです。完璧に納得できなくても、少しでも恐怖の正体に検討がついたら、「じゃあ場数を踏もうかな」と自然に思えるかも知れない。
でもネットには具体的なアドバイスはあるけれど、恐怖を解明してくれる回答は見つけにくい。

というわけで自分なりに考えてみた。

・電話はアポなしでいきなり相手の時間を奪う

電話というのはライブです。メールのように送っておいていつでも好きなときにお読み下さい、というものではないから、いつ電話がかかってくるか予測不可能。現在のコミュニケーションツールでこんなに「いきなり、かつ無理やり」感があるのは電話しか思いつきません。
取らなければ良いじゃない、といいますが仕事となるとそれは論外だし。
というわけで、こちらから電話をかけるときはかなりの確率で相手の作業を中断させてしまうことになります。そういう意味では最初から不愉快なツールであるわけです。それを使うのだから緊張するのも仕方ないと言えますね。しゅん

・電話は声だけでがんばる不確実な手段

『産業教育機器システム便覧』によると、五官による知覚の割合は視覚器官が83%、聴覚が11%、臭覚3.5%、触覚1.5%、最後の味覚が1.0%、であるとしています。
参考:http://www2s.biglobe.ne.jp/~ganko/kikaku/polytech/1-5.html

電話をつかうとき、五官のうち使えるのは聴覚のみということになります。面と向かって喋るときには99%の知覚をつかって情報を得られるというのに、電話だとたったの11%。ワァオ!(セイン・カミュ風に)
しかも普段は意識してない「声」だけが頼りです。そんなほぼ丸腰状態でつねにライブでコミュニケーションをとらねばならない。喋る内容をメモしていたとしても、それを読み上げたり、相手の答えを聞き取るという行為はすべてアドリブ。こう考えてみると、電話ってそうとう無茶振りに思えてきます。その無茶振りが恐怖だけでなく「電話っておっくう」と思う原因にもなっていそうですね。

何より相手が見えないって人間にとってかなりのストレスです。それだけで一気に8割の情報を受け取れなくなってしまう。電話恐怖の原因はここが大きいのではないかと思うのです。この人が今どういう気分なのかを声だけで読み取るわけですが、11%では完璧に把握するのは不可能ですし、誤解するのも簡単です。ちょっとした軽い冗談でも、ストレートな皮肉として受け取ってしまいぐさっと突き刺さってしまうとか、そういう「あわわわわ」な状況になりやすい、不安定さがつきまといます。
ついったーでシトロさんが電話をつかうときの状況を的確にあらわしてたので引用しますね
「目隠しした状態で、同じく目隠しした相手のところへと突然どこでもドアで乱入。何事もなかったかのごとく自然に会話を成立させる。触れてはいけない、匂いを感じてはいけない…」
どうでしょう。もう平常心で電話をかけられなくなったでしょう?フフフ。て目的と逆の方向をいってしまった。


まとめると、「相手に失礼かもしれない」「相手も私もお互いに見えないのが怖い」「なのに常にアドリブしなければいけない」という不安要素のコンボが、電話恐怖の素になっていると。私の意見はこうなります。



ではどうしたら電話と仲良くできるのか。

・相手が電話に出ているところを想像する

見えないのなら想像してしまえ! 今まで自分が電話をかけるほうの視点でしか書いてませんが、受け取るときも一緒です。相手も自分が感じてる「不愉快さ」や「相手への遠慮」を持ち合わせているかも知れない。見えないことによる不安が大きいのでたまに忘れますが、向こうにいるのは同じ人間だったりします。もしぶっきらぼうに応対されたとしても、それ以上の最悪な事態(焼かれるとか)はないです、たぶん。

・電話の無茶振り具合を前提にして工夫する

電話は交換できる情報がきわめて少なく、かつライブであるため推敲もできず、最初からめんどくさいツールです。もし完璧にすらすらと喋ったとしても、相手がそれをすらすらと受け取れる保証はありません。「相手に伝わるか分かんない」という状況からスタートしているのだ、という認識をしておくことが必要になります。
すると、自然に「どうにかして相手に分かってもらおう!」と思う気持ちが生まれます。それだ!
そもそもコミュニケーションの基本は「相手の気持ちを考える」ということだと思いますけど、電話ではもっと念入りにやってやる。
もし「相手も私と同じくらい電話恐怖心を抱えていて、受話器を持つ手がガタガタ震えているに違いない」
と考えたとき、「じゃあどんな人から電話をもらったら怖くないかな?」と考えます。
ちょっと考えただけでも「日本語が聴き取りやすい」とか「こっちの時間を奪ってるということを理解できている」とか「にこやか」とかすぐでてきたので、それを心がければあら不思議、電話が可愛く見えてきましたね。

ここで私が気をつけたいナーと思うのは「大人の対応を目指さない」ということです。大人であることを示すために電話使ってるんじゃないもん。オペレーターのようなマニュアルを身につけると、確かに大人な感じはします。でも今まで緊張でガタガタ震えていた人がマニュアルをいきなり習得するのは、けっきょく「場数を踏めやゴルァ」といってることと一緒なのだと思います。かっこよく受け答えできますが、それは電話のめんどくささ、不安さを棚に上げるだけで、それで根本的な解決になったらいいけど私はならなかったよ☆

で、電話の不安定さを認識し、相手に配慮しすべきふるまいが見つかると、今までより恐怖心は消えます。私は消えた。だって恐怖は電話というツールがもたらす面もあって、全責任が私にあるわけではないからです。私だけが使えないのではなく、もともと使いにくいものである。だから使いやすいように工夫をこらす。そう考えれば、ガチガチ震えて涙をためるなんてこと、なくなるんじゃないかなあ。