2015/11/15

マティアスとクッキー食べたい

飛ぶ教室 (光文社古典新訳文庫)
ケストナー
光文社
売り上げランキング: 114,215
こちらの訳で読みましたよ。ドイツのギムナジウムというと思い浮かべるのは萩尾望都作品なわけですが、1933年に出版されたというこの本を読んでみたら、萩尾先生の描いた雰囲気とだいたい一緒だなあという印象。

「トーマの心臓」なんかを読むと、男同士で好きとか愛してるとか言い過ぎているのでは…と(萩尾さんがBL推しなのもあってw)おろおろしていたのですけど。やはり寮生活で毎日ともに過ごすからか、男の子たちの結びつきは本書でもとても密なものでありました。それは元寮生の「正義さん」と「禁煙さん」もそうで、一度強固に築いた友情はいつまでたっても残るものなのでしょう。禁煙さんが結婚しても正義さんは一緒に住み続けていたとか、なんなんだ?とは思うんですけど。

物語に出てくるのは主に5人。書くのが上手なジョニー、優等生で正義を重んじるマルティン、食いしん坊でボクサー志望のマティアス、チビで臆病なウーリ、そしてなんか賢くて良い奴のゼバスティアン。
クリスマスのパーティ用につくった劇の練習や、近くの学校の生徒との決闘など、毎日を全力でかけぬける感じが生き生きと描かれています。

それにしても嫌な奴が誰一人として出てこない!マティアスなんて、腕っ節が強い大柄なんだからジャイアンになってもいいものの、親友のウーリをしっかり気づかえる優しさを持っていますし。クッキーほしさにお金を借りたあとは、ちゃんと返すし。ジャイアンとの対比がますます……。
マルティンもクラス1優秀なのに、けんかとなれば加勢するし、他の子もガリ勉とかいっていじめるわけではないし。
ここではみんなそれぞれ個性が認められて、誰も優位に立つこともせず清々しい友情がはぐくまれている。なんて素敵なんでしょう。みんなキラキラしていて描写がまぶしいです。

子どももそうなら大人もみないい人。通称「正義さん」のベーク先生は、社会の厳しさを教えながらも子どもたちのことを真剣に考えてくれる、最高な人。そして禁煙車両だった客車を家にしてすんでいる世捨て人の「禁煙さん」は、正義さんとは違うジャンルの最高な人。正しいことは正義さんへ、正しいのかどうかよくわからないことは禁煙さんへ、それぞれ相談するわけです。うらやましい。

正義さんが5人と、下級生を監督する9年生のテオドールに向けて自分が教師になるいきさつを語るシーンはずるいです。本当に先生には一点の曇りもないので、下級生に対していばりちらしているテオドールくんもすっかり先生の気高さに感染してしまう。極めつけはマティアスの「あの先生のためなら、おれ、首くくられてもいいぜ」という一言。
理想の上司欠乏症の現代社会に現れてくれないかな、正義さん……。ずるい。

正義さんの過去のエピソードはケストナー自身の実話なことから、正義さんはおそらくケストナーの思いがめちゃくちゃ詰まっていることだろうと思います。
なにせ出版された年はドイツでナチが政権をとった年。さらにケストナーは著作を焚書されたりしていて、社会に対してずっとあらがっていた人だったそうで。まさに理想の上司から一番遠いところにいる人物に権力を奪われた時代。そのさなかに「素敵な大人たち」を描くのって、もうほとんど祈りに近いです。

ケストナーがすごいのはぜったいに逃げなかったところですね。亡命もしなかったようで、よく殺されなかったわ…。この本の前書きにも「災難にあっても、目をそらさないで。うまくいかないことがあっても、驚かないで。運が悪くても、しょんぼりしないで。元気を出して。打たれ強くならなくちゃ」と勢いよくかかれていて、美しいです。
悪いことがあってもそれを嘆いたって何かが変わるわけではないから、耐えなくてはと。厳しいけれど、一度耐えてみせれば半分勝ったようなもの。子どもたちに送る最高のエールだなあ。


ところでお気に入りの箇所は、失業してちょう貧乏なマルティンのお父さんとお母さんの会話のシーン。

「こんなことを運命が許すとはな。お金がないと、どんなにひどい思いをするのか、まだあんなに小さいのに思い知ることになるんだから。親がこんなに無能で、こんなに貧乏なのを、どうか責めないでほしい」
「馬鹿なこと言わないで」と、妻が言った。「なんでまたそんなふうに考えるの?マルティンはまだ小さいけど、有能であることとお金持ちでることがおなじじゃないことくらい、ちゃんとわかってるわよ」
そ、そうだそうだ!(万年貧乏のわたし)


2015/11/12

かわいい、辛い、かわいい

悪童日記 [DVD]
悪童日記 [DVD]
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アルバトロス (2015-03-04)
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ベストセラーにもなり、ファンが多い原作の映画化。本を読みたいなと思いつつも「ぜったい辛いやつや…」と踏み込めずにいたので、映画から観てみました。

辛いやつやった…

愛に包まれて育った双子が、戦争を機に田舎の祖母宅に疎開させられるお話。父からもらったノートに日記をかき、母との約束で勉強だけは続けながら、過酷な毎日を生き延びる双子が、残酷さに打ち勝つために「訓練」と称してお互いを傷つけ合ったり、自分たちで残酷なことをしてみたり…と救いが見えない映画です。戦争の混乱で正義なんてとうになくなっていて、周りの大人たちも醜さをさらけ出していて。

自分の弱い部分をひたすら殺していくことでしか耐えきれない日常の、なんとも冷たくて厳しいことか……。双子と同じく一瞬も気をゆるめることができません。友達ができたり、親切にしてもらうことがあっても、その人たちだって簡単に殺されてしまう。

教会で働くお姉さん意地悪でしたねー。おそらくナチス支持者だったのかな。あんな風に連れて行かれるユダヤ人の行列をおもしろげに眺める人々も実際にいたのでしょうね。その残酷な光景の中で彼女が食べてるパンがめっちゃおいしそうなのがまたね。そしてお姉さんめちゃくちゃ美人でもうね……!この映画は「かわいい」と「つらい」の葛藤がすさまじいです。

お母さんとの再会シーンは、お母さんって私が気づけなくて「このひと誰やねん…」て思ってしまった(笑) だってあまりにも双子がそっけないから……訓練を重ねた日々の代償として、親への愛情も失ってしまったのがここで分かるんですが、またお母さんも新しい男がいたりして、人って弱い生き物ね…とため息。

お父さんも訪ねてくれるんですが、もはや他人同士でしかないんですよね。お互い警戒しあっているし。実際に殺されたわけではなくても、つながりがなくなってしまえばその人を失ったにも等しいので、戦争のむごさが浮き彫りになります。お母さんに言われたとおり「勉強」はしてるのに。お父さんにもらったノートに日記だって書き続けているのに、約束だけが残って約束した人物とのつながりが消えるという。

最後の訓練は正直そこまでしなくてもいいじゃないかって思うほどですが、彼らが真の意味で大人になるには必要だったのかもしれません。「お互い離ればなれになるのが一番こたえた」と言うシーンもあるくらい、強く結ばれている二人が別れる痛み。とっても重たいです。


主役の双子さんは監督がハンガリー中を調べ回ってみつけた素人さんだそうですが、この美しさのおかげで映画がぎりぎり耐えきれるかな!って感じだったので、本当に良いキャスティングです。一ミリも人を信用していないあの目つき、素晴らしかった。

あと口の悪すぎるおばあちゃんもコロコロしててかわいかった~!たまに娘や孫を思いやる感情が垣間見えてほっこりしました。撮影の合間に双子となかよくやっていたのかなと思うと萌える…

2015/11/05

深く潜ることとそのために必要な胆力

職業としての小説家 (Switch library)
村上春樹
スイッチパブリッシング (2015-09-10)
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毎日規則正しく生活し、決まった時間に決まった枚数だけ書き続ける。ということくらいしか明かしてくれなかった村上さんが、質問に答えまくったりこうして自分のことを公開するようになっている。何十年も謎な部分を保ち続けてきた人がようやく教えてくれることってすごく面白いなーと。大作家というのもあるけど、その語らなかった年月のおかげでこのエッセイのうまみが増してるとおもいます。

村上作品はノルウェイの森と海辺のカフカ2作のみ読んだことがあり、1Q84は序盤で挫折したのでファンじゃないんですけど、この本は読んでて面白かったです。

苦労して切り盛りしていたバーがようやく安定しはじめたころに、神宮球場の外野席で寝そべりながら試合を観ていて、外国人打者が二塁打を打ったときに「あ、小説書けるかも」という感覚が降りてきた話が特にすきです。エピファニーというらしい、その「いきなりそれが現れてきた!」という感覚、それに導かれて小説家・村上春樹が誕生した。私はそういう「降りてきた!」話が大好きなので、興味深いのです。

村上さんは以前から「うなぎ」のたとえ話を使うので納得できるわけですが、その自分がぜんぶ考えてるんじゃなくて「うなぎ的なもの」にヒントを得るとか、作家になりたいなと欲望しているんじゃなくて作家になれるんだという自覚が先に来たとか、そういう感覚がどういうものか知りたくてしかたがないんです。
僕が長い歳月にわたっていちばん大事にしてきたのは(そして今でもいちばん大事にしているのは)「自分は何かしらの特別な力によって、小説を書くチャンスを与えられたのだ」という率直な認識です。

とおっしゃっているように、自分の頭じゃないどこかで何かが決まって、それに謙虚に従うというやつ。狭い頭の中で完結させるよりとっても自由そうなので、その不思議な感覚を覗いてみたいんだよなあ。いつかくるかな。うなぎ。

もう一つ興味深いのは「一回書き上げたらめちゃくちゃ推敲する」ことですよね!村上さんの文章には独特のリズムがあって、すーっと読んでいけるものなんだけど、そのリズムをつくるのにありったけの時間をかけているのがとても意外です。リズミカルなものを書き上げるときは衝動というかスピードを大事にした方がいいのかなと思っていたけど、何度も何度も考えられて、緻密に作り上げられたリズムだったんですね。
本でも書かれていたけど、たしかにその作業をこなすには相当な「胆力」が必要そうです。必要に違いない。だって一度書いたものを読み返すって、私にはぜんぜん楽しい作業だと思えないんだもん。テストの見直し、苦痛だったもん…!

その「しつこい推敲」を読んで思い浮かべたのは中村佑介さんのイラスト講座です。

中村佑介 みんなのイラスト教室
中村佑介
飛鳥新社
売り上げランキング: 82
twitterで絵を描く中高生から求められるアドバイスをおしみなく提供しちゃう中村さん。この方の絵も好きではないんですが、あまりにも的確なアドバイスと丁寧すぎる接し方が勉強になるので、本ももちろんゲットです。
で、彼がよくいうのが「手をかけているか?」ということ。
素人は描きたいものだけを描いて満足することが多く、ほとんどの場合人のバストアップっで背景は1色とかデジタル処理に頼るみたいなかんじなのですが
ジブリの背景などを例にだして、「描き込んでみるだけで驚くほど説得力がでる」というのです。
面白みがないと思っている背景を描けるようになるとそこに「世界」が生まれる。細かいところまで描いてみるほどもっともっと世界が深くなる。 すぐに満足しないで、そこまで来てご覧なさい、話はそれからだ。みたいな。

背景が1色塗りつぶしだろうと魅力的なプロのイラストレーターさんもたくさんいるけど、あのシンプルネスは洗練であって、考え抜かれた線なんですよね。決して「浅い」わけではない。

私は下書きを清書するといつも下書きの勢いあるときのほうが良かった…なんてことになるんですが、それは浅い・深い以前に技術の問題であるので道は長いんですが(笑)、かきなぐるよりじっくり腰を据えて描くことに挑戦していこうと思います。でもな~ 思い立って勢いそのままに夜中3時間くらいで絵を描きあげるの気持ちいいんだよな~ まずは衝動の先を目指すところからですね。

2015/11/04

華麗なる誤読

喜嶋先生の静かな世界 The Silent World of Dr.Kishima (講談社文庫)
森 博嗣
講談社 (2013-10-16)
売り上げランキング: 99,737

本の後ろにあるあらすじを読み、少し中身をパラパラして購入。森博嗣さんの作品のなかでもとりけ評価が高い作品だそうですね。「自分で問いをみつけ、気が済むまで挑戦し続ける」という本当の学問の楽しみを追求することの魅力が存分に描かれているから、理系に多い森博嗣ファンさんのよだれがたれるのも頷けます。疲れ果ててベッドに倒れた夜を何度も過ごしても、「こんな辛い思いはやめたい」と思いながら思考を続けても、次の日には「今日はあれができる!」と勢いよく研究室へ行くこのかんじ。楽しそう。勉強楽しそう。科学というものは「実験してみて、きちんと結果としてあらわれる」ことが目に見えるから、なんだろう「うだうだ悩むよりやってみればいいじゃないか」という雰囲気があまりにも当たり前すぎて、うだうだの段階で止まることが得意な私みたいな人間がマッハで置き去りにされるんですよね。

そんな素敵な本だけど、最初に思ったのは「本の後ろにあるあらすじと違う!!」でした。
講談社文庫のあらすじはこんなかんじ

文字を読むことが不得意で、勉強が大嫌いだった僕。大学4年のとき卒論のために配属された喜嶋研究室での出会いが、僕のその後の人生を大きく変えていく…(以下略)
これを読んだときに「おっ!勉強を諦めた人が真の面白さにようやく目覚めるのか…!」と思い込んで、今まで好きな分野であっても深く極めてみようと思うけど「やりたいことではあるけど、めんどい」 という気持ちが先行し不真面目を極めた私にぴったりなはず!!!!と鼻息荒くしたわけですが、主人公は文字がはやくよめないという特徴があるものの、好きな電波の分野の難しい本を、小学生で「考えて考え抜けばわかる」とあっさり読めてしまっていて。

それ以降好きな分野は自分で勝手に授業とは異なる学びをどんどん進めていて、あまつさえ興味のない文系の勉強もまじめにやり、ちょう苦手な英語で書かれた論文も当たり前のように読むという、えっ、それで勉強が嫌いとかいってるの?本気で言ってるの?っていう感じで、話にならないわけです。

それもそのはず私の期待が方向違いなだけで、主人公の橋場くんが嫌いな勉強とは、「教科書に書いてあることを教師が読むだけの、テストのための、答えがすでに用意されている勉強」のことなのです。もう答えがすでに決まっていて、それを導くためにするのは勉強ではなく「労働」ではないか、と橋場君が考えています。そう考えると、確かにそういう単純労働に楽しみを見いだすのは大変そう。

というわけでこの本は勉強が大嫌いな僕ではなくて「大学までの労働的な勉強に絶望してうんざりな僕」なのです。

そんな橋場君が卒論研究で出会った院生・中村さんに出会って学問の面白さに目覚めるのだけど、そこでも「喜嶋先生に影響うけまくったノリで書いてるわりに、卒論終わるまで喜嶋先生でてこないやん…?!」と2度目の肩すかし。
その中村さんとは喜嶋先生のお弟子さんなので、彼が語ること・指導してくれることはすべて喜嶋先生の言葉や態度だ、ということなんだろうけど、先生が出てくる前に出てきた中村さんがあまりにも的確な指導を橋場君に施すので、後から出てきた喜嶋先生のすごみが伝わりにくいっていうか…いや、中村さんの方がすごくない?っていう…いくら喜嶋語録を伝授してるだけだとしても、面倒見良すぎるし、言うことがどんぴしゃすぎるし、中村さんすごいんだもん。

こんなかんじでスタートダッシュでつまづきまくったので、単純に「素敵な空間…感動した…!」といえない誤読(というか勘違い)野郎なのですが、研究者の凄みがひしひしと伝わってきて、圧倒されました。自分の専門の文献は全部あたってその上で「まだ解明されていない問いを見つけることから研究が始まる」とか。「学問には王道しかない」という言葉。科学の前ではどんなに偉い人でもみんな平等で、論文がでるたびに審査があって公平にジャッジされるという世界。

自分で問いを見つけ答えを探し続けることの過酷さに心身を壊したり自殺してしまうひとが結構な割合でいることや、定員割れを防ぐためレベルを下げざるを得ない大学院の状況など、大学の裏事情も事細かく書かれていて、おもしろいです。
その中で出世を拒みストイックに研究を続ける喜嶋先生。感情をはさむことを嫌って、言葉が文字通りの意味で伝わるように直接的にしか言わないスタイルは、不器用に見えるけど、言葉にたいして誠実なだけであるという。夢に、やりたいことにひたすらひたむきな先生と、しがらみに囲まれて軌道修正をして行かざるを得ない世間との対比が印象的です。

最後はなんでああなるのか…?あれがミステリだとしたら、私はこの本を読み返さないといけないですね!というか、肩すかし部分の期待を全部はずしてクリーンな心でもっかい読もうと思いました。

そんなこの本で心に残ったところ
研究というものが、大学の四年生までのいわゆる「勉強」とどう違うのか、と言えば、一番大きいのは、教えてくれる人がいないこと、覚えなければならないことがないっこと、つまり、外の情報を頭に入れる作業ではない、という点だろう。[略]頭の中に入れる行為というのは、食事と同じで、自分に対するインプットだ。入ってくるものが多すぎたり、同じものばかりだと飽きてしまう。眠くなってしまう。これは、躰がそんなものはもういらないと拒否しているからだ。授業でも眠くなってしまうのは生理的なものだからしかたがない。

中学から大学まで寝まくった私にはとても優しい文章です…。食事と排泄のバランスと同じで、詰め込むだけでは無茶であるという考えですね。眠くなるのはしかたないんだ!(正当化)



2015/10/31

「いざとなったら、いつも寝てます」

なるほどの対話
なるほどの対話
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河合 隼雄 吉本 ばなな
日本放送出版協会
売り上げランキング: 503,460
どの世界の人々も河合隼雄さんを好きなので、ちょこちょこ読んでみようと思い立って。
こんな素敵なおじいさんいたら、確かにきかれてもないのにいろいろしゃべりすぎてしまいそう…ばななさんはあとがきで「河合さんに頼りすぎないようにしようとがんばってた」みたいにおっしゃってましたが、それめちゃくちゃ至難の業ですね。

生きづらさを抱える人々に寄り添い続けた臨床心理士・河合先生にかかれば、昔の、そして今の私が抱えている悩みなんか特に「異常ではない」のだなあと思ってホッとしているというか。

まず吉本ばななさんが高校の3年間、毎日眠くて眠くて仕方なかったというところ。
ばななさんは高校だけですんだけど私は中学から大学まで、授業中ひたすら眠くて起きているのが本当に難しくて、よく寝ていました。そう、それは先生の研究室で少人数で行われる講義でさえ無理でした。(一見)温和な米文学専門の先生は「もしかしたらそういう病気かもしれないですね」とにこにこおっしゃってました。ナルコレプシーってやつか。

でも河合先生によればナルコレプシーと誤診される思春期の子が多いんだとか。三年寝太郎の話を持ち出して「三年寝たあとで頑張ったやつがいるんだから、何にも心配することはない」と(笑)。
ばななさんが眠り続けた理由を「外界で起こっていることと内界で起こっていることが違いすぎて、拒絶するよりほかなかったのではないか」と。

私はどうだっただろう。生きづらいことだけにひたすら不満をならべて勉学!とかいってられなかった気がします。本を読むことに慣れておけばよかったんだけど、あの頃はネットでサイトつくって絵を描きまくることが何より大事でしたので……。
救ってくれる人をひたすら待ってただけだった気がします。ふふふ。

そしてその話の締めくくりで「何か考えるよりも眠った方が賢い」と先生が言います。仕事で行き詰まったら眠れとかね。もう包容力がありすぎて涙が……。あの頃はたくさん眠る必要があったんでしょうね!よく寝た!


もひとつ心に残ったのは先生にかかる人たちの幸せは社会復帰だろうか?ということ。やはり働いてない=社会に貢献できてないという思いが強いみたい。それを先生は「社会病」といってただの流行りだととらえている。
何も、社会の役に立たんでもええわけですよ。もっと傑作なのは、ただ外に出て働いているだけなのに社会に貢献していると思っている人がいる。貢献なんてしてないですよね、金儲けに行ってるだけでしょ。「そんなん、別に」と僕は思っています。社会へ出て行くとか、だいたい社会というものが、あるのか、ないのか。それから、なんで貢献せないかんのとか。全部、不明でしょ、ほんとのところは。

私も社会病に取り憑かれた身だなと。今はお金が神様みたいだから、お金がないと自己実現ができないのでは、というのが当たり前だけど、それも流行りでしかないのかも…と固まった思考をすこし溶かしてくれるような言葉だなあと思います。優しいこと…

さいごに、河合先生が「自分で患者を治そう」とか「ああしてあげたら」とかいろいろ考えてしまうと、「自分が病気になるのではないか」と思うくらいぼろぼろになってしまうというお話が興味深かったです。だけど自分で治そう、という力みが抜けたらいいあんばいになる、という。そして遠藤周作に体調を気遣われていた河合先生(笑)。その加減、私も会得したいなーと思っています。個人の力でどうこうするんじゃなくて、ただの触媒みたいになるというか。

つくづく、人生ってちょっとの塩加減、みたいなものでおおきく変わるもんなんだなと思いました。
 

2015/10/27

どくどくしょ

残像に口紅を (中公文庫)
残像に口紅を (中公文庫)
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筒井 康隆
中央公論社
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世界から一文字ずつ消えていったらどうなるのか…?を最後の文字が残るまでやり尽くして見せた実験小説。筒井康隆のベッドシーンなんてはじめて読んだわ…と思ったらやっぱり珍しかったみたいです。筒井作品ぜんぜんよんでないんだけど。

主人公の小説家・佐治と評論家であり友人の津田が「時間がたつにつれて使える文字が減っていく虚構」のルール作りをして、その虚構を本人たちが生きてみるという形で物語がはじまります。
消えた文字を含む単語なり名称なりがきえてゆくということは、人間も同じということで、最初は消えた文字・言葉よりも消えていく人を失ったあとのむなしさが強い。タイトルは家族で一番最初に消えた娘の存在をぼんやりと思い浮かべたときのせりふから。にくい…このタイトルうますぎる…!

文字が残っているうちは失ったものへの悲しみだとかそういう情緒を語ることができるんだけど、どんどん表現が制限されていくとただひたすらしていることや目にうつるものの描写、擬音が続いていく。特にどんどん言葉を削っていくラストスパートの第三章はとりあえず言葉を連ねるみたいなかんじで、つながりがなかったり機械的すぎたりして読むのがしんどいのだけど、それはつまり言葉がなくなりすぎると、なくなったものたちのことを思ってあげるだけの表現が残ってなくて、すなわちそういう感情もでてこないという。
終盤のほうで「津田」に含まれる字がきえて、もちろん津田はそれ以降完全に姿を消すんだけども、「え、重要人物なのにあいつ消えたなーとかないのか…」と思ってしまった(笑) 消えた片方を思い出してあげるために使わなければいけない言葉も一緒に消えてしまうと、感覚として「なんかもやもやする」みたいなのがかすかにあったとしても、小説に出すことはできないんだなあと。

今ふつうに考えたり悩んだり思ったりしているのって、言葉がまずあるからなのかなあと思いました。しかしどんどん文字は消えていくのにスラスラと変わらず書き続けられる力量すごかった…終盤でいきなり主人公の自伝をはじめてしまうのも。余談だけど主人公の自伝かわいそうだった…何をしても親に「はん」と鼻であしらわれて終わりの少年時代……人のやる気をくじく態度をとるのは本当に簡単だから注意してしないように努力しようと思いました!

あと津田、人のセックスを笑うな!(笑)

花のベッドでひるねして
花のベッドでひるねして
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よしもと ばなな
毎日新聞社
売り上げランキング: 58,853
よしもとばななさんが一番好きとおっしゃる小説。海辺に捨てられていたところを拾われた過去をもちながらも、あったかい家族に囲まれてまっすぐすぎるほど育つ主人公。始終「ああ…私しあわせ…」と言ってばかりで、事件らしい事件もとくに刺激的というわけじゃなくて、ほのぼのしたまま終わる。
さっと読めばそういうものなんだけど、おじいちゃんが「引き寄せの法則」のような力を持っていて、おうちがスピリチュアル名所のイギリス・グラストンベリーのB&B(宿泊施設)と提携をしていることなど、舞台の小さな村では「異様な家」として浮いていて。幸せな主人公は、別の視点でみると「変な子」「捨て子」のようなマイナスな印象を持たれていることがぼかされて書かれています。

とてもよい家庭にもらわれたとはいえ、捨て子という時点ですでに卑屈になる理由はそろっているし、その良い家族だって内輪でよくとも、外から見られると「おかしい」わけです。でもそういうところに目を向けず、与えられたものにありがたみをかんじていること。
おじいちゃんが「いつもちがうことをしないようにしておくことが大事」といっていたけど、その「ちがわないこと」がそうなのかなあーと。

おじいちゃんのせりふはスピリチュアル満載でも、とてもよかったです。


2015/10/19

ビバ!私はメキシコの転校生 「幸福」をおしえてくれた自由学校 - 山崎まどか

映画・海外ドラマ・ファッション・文学・音楽などアメリカのヤングカルチャーを中心にいろんなジャンルのセンスのいいものを紹介してくれるライターさん。ミスiDの審査員もなさってます。
私的には「師匠の師匠」みたいなかんじのひとでして、図書館で検索してみたら幻のデビュー作がおいてあったので借りて読んでみたのです。
まどかさんが小学校低学年のときに移住したメキシコでの学校生活と日本に帰ってきてからの生活を書いたもの。書いたのはなんと15歳のときです。

メキシコというと先住民族の文化のイメージがつよく、モダンなおしゃれとは結びつきにくいかんじがします。でもまどかさんは幼いながらもメキシコの国旗の色鮮やかさや、「ピニャタ」というクリスマスのときにつくるおかしをつめた紙の工作へのこだわり、そして終業式のダンスパーティーで踊った際に着た民族衣装の細かい描写など、「きれいなもの」「センスのよいもの」を見極める力が養われていました。

さらにまどかさんが通っていたトラウィカ学園は、普通の学校ではなくて少人数制の自由学校。何よりもまずさきに毎日おやつをかばんに入れて持って行くという描写があって笑ったのですが、カリキュラムがなくって自分の好きな勉強を好きなだけやったり、遊びを通して生きることを覚えていくスタイルで、とにかく楽しくてしかたない!という気持ちが伝わりました。
残念ながら学校は財政難で閉鎖したようなのですが…そうよね…難しいのよねえ。
その中でこどもたちは<提案する> <批判する> <ほめる>を主に学んでいきます。どれも日本の教室で素直にやろうとすると難しいものばかり。とくに<批判する>は目的がうまく達成されずに悪口合戦になろうとします。
でもまどかさんは
<批判する>ということは、いじわるをいうことではけしてなくて、相手と自分がちがうと思うことをはっきり述べることです。だからそれは、自分とほかの人のあいだにあるちがいをかんがえながら、前以上によく理解しあい、なかよくなれるということです。信じあう心がとてもつよくなります。
と正しいやりかたできちんと学んでいる。私はまだこれが怖いです。目的はそうであるとわかっていても考え方に異論をとなえられると自分自身に異論があるのかと思ってしまって萎縮しちゃう。ほんとうの<批判>をとおしてわかり合えた、という成功体験を実感していないからでしょうなあ。

そこから2年ほどたってまどかさんは日本に帰国するのですが、帰国子女が学校になじめないというのはよくある話で、まどかさんもトラウィカ学園流ですごそうとしてさっそく違和感だらけになります。
学級の<反省会>という話し合いでも<批判>というより<他人の悪口のいいあい>になるという、おきまりのパターンからはじまります。メキシコにいたときのノリで発言しようものなら「ふざけている」といわれ、今まで持っていた価値観と真逆の環境で窮屈になっていく様子が…こういうの読むたび辛いです
同級生からのいじめはおろか上級生からリンチを受ける始末。
それでもまどかさんは彼女らを憎むことはせずに、「みんな抑圧された社会で悲鳴をあげている」のだと主張します。自分が受けた痛みだけに気をとられずに、相手の中にある気持ちをくみとろうとしているまどかさんの様子がとてもとてもまっすぐで強くて、すごいなあと思いました。
そうやって普通の子供より何倍も濃い毎日を過ごしてきたことをしって、今ご自分の好きなことについて書きまくれているまどかさんがいてよかったなと。

そして、私自身学校があんまり楽しめなかったので、あの場がもっと過ごしやすくなれるようになればなあと強く思います。ふぅ。

2015/09/20

乱れ読み

最近、某市立図書館と某県立図書館のカードをつくったので図書館愛用しています。
久々に乱読しているかんじ。図書館だと、「興味関心に10000%あてはまっていない本」が気軽に手に取れるので本当にありがたいです。ありがとうありがとう。

日本の身体
日本の身体
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内田 樹
新潮社
売り上げランキング: 48,721
すごく久しぶりに内田先生関連の本を読んだ…昔から伝わる和の芸術なり武術なりスポーツの道をきわめる方々との対談本。まとめているのは橋本真理さん。橋本さんのまとめかた、ほんと芸術的というか、内田先生が自分でまとめたみたいなかんじ。
全員から伝わるのは「道の探求をとても楽しんでいる」ということ。職業にするのだから当たり前かもしれないけど、そのことをやり続ける中で自分の課題を解決するためにいろいろ試してきたんだろうなあという、「どこまでも自発的な態度」がひしひしと伝わってきて、読んでいて活気がわいてくるようでした。
また、彼らが今面白がっていることが元々自分のテーマではなかった、みたいなところも面白いです。楽しそうに変化していく人ってとっても輝いているんですね。
ふてくされてるともったいないってしみじみ思います。
ほんとに。
私のことなんですけど。
というのも今まで「探求してみたら楽しそうな習い事」をいくつかやってきていて
そのどれもを「言われたからやる」というしかたで雑に扱っていたからで……
楽器なら11年続けたピアノ。1年間だけ在籍したマーチング部のクラリネット。
昔は水泳だってやったしそろばんだってさせてもらったなあ。

学校の勉強だって常に「言われて」やるもので、テストのために学んでいるようなものでした。
自分で言われたことの他にやる、という学習スタイルは、そのときなは「え、そこまで自分で動かないといけないものなの?」ってめんどくさいものとしてしかとらえていませんでした。

言われてやると当たり前だけど上達しないんですよね!だからいつまでも練習そのものが楽しくならないし。マーチング部は私が集団行動になじめなさすぎて1,2年の大部分から疎ましく思われて辞めざるを得なかったかんじなんですが
なじめないなりに楽器の楽しさを追求できればよかった。クラなんてなかなか吹く機会ないのにー!初心者は息が入りまくった音しか出ないから、息の吹き込み方を研究してきれいな音がだせるようになりたかったな。今思うと。でもあのときは毎日苦痛でしたね。

というかんじで過去の回想を大量にやってしまう本でした。皆さんホントに背筋が通った方ばかりで素晴らしくて…専門にしていることの歴史背景を問われたときのすらすら答えている様がかっこよくて…!歴史から続く道があって、その先に自分がいる、という認識をしているんだなあと思いました。そして皆さん全体的にとても「しなやか」。良いお話をたくさん読めてよかったです。


原発と祈り 価値観再生道場 (ダ・ヴィンチブックス)
内田樹×名越康文×橋口いくよ
メディアファクトリー
売り上げランキング: 499,197
橋口いくよさん、スピリチュアル系女性の典型…?と不安になったけど、自分が信じていることを素直に「信じている」と言えるところが良いなあと思います。内田先生・名越先生としゃべるときにいかに素直でいられるかって結構難しいのではないかと。ついうっかり知ったかぶりしてしまいそうです。そして見透かされてしまいそう(笑)
一番おおお、と思ったところは「病の転化」についての話題。
「病」それじたいは人間が成長していく過程でかならず持ってしまうもので、それが同じ位置に居続けて凝り固まって「病気」として現れてくる。うまく転がしていけば「芸術的才能」に昇華する。
病気が治っても病が消えたわけじゃなくて、また別の場所へ転がり始めただけ。そしてまた別のなにかに変化するということ。

最近読む本はどれも「執着しすぎるな」ということを繰り返し叫んでいる気がします。鬱屈気味になるときも、頭痛が出てくるときも、なにかが淀んでいる気がしますものね。気でも病でもなんでも、停滞しないように流れをつくるのが大事なんだと思います。流れをクリアにする方法が、ここでは「祈り」となっていて、ヨガや仏教だと「瞑想」「呼吸法」になるのかなあと。

「病」それじたいは良くも悪くもないもので、変化に応じて良くなったり悪くなったりする、そのバランスを良くすることに気をつける。 というのを覚えておこうと思います!


頭をよくする私の方法―人の何倍も「頭」と「心」をつかいこなす秘訣
竹内 均
三笠書房
売り上げランキング: 292,337
さきにアイデアのつくり方を読んだら解説がこの方で、「方法論読むのも良いけど、きみたち実際にやりなよ?」というごもっともすぎる一言が気持ちよくて、図書館の書庫から引っ張りだしてきてもらいました。87年に出た本。
1.自分の好きなことをやり、2.それで飯が食え、3.それが他人から高く評価されることを「自己実現」とした著者がいかにやりたいことをやりまくる工夫をしてきたか、が詰まっています。
まだまだパソコンもご家庭に1台になるまえの、というかワープロが350万円した時代のライフハック本なので、方法がとっても力業!!PC1台で何でもできる現代人とは比べものにならない胆力、ダイナミックなエネルギーに惹かれました。かっこいい。

一番かっこいいのは「エンサイクロペディア・ブリタニカ」(1セット30巻くらいで30万だっけ?)を各職場・自宅に述べ5セットおいているところ。多くのご家庭では応接室に見栄的な目的で飾られていたであろう百科事典で先生は何でも調べ、仕事をした。知的権威の最高峰が百科事典だったころを私は知らないのですが、それを実際に使い込む姿はさぞかしかっこよかったんだろうなあと想像してしまいます。それも5セットて。約150万円。漢ですね。

膨大な量の仕事をしながら何百冊という本を書き、さらにはニュートン誌に毎月連載を書いていた先生の仕事術は「大変なことは分割し細切れにして、少しずつこなしていく」というもの。
15分間を最小のまとまりとしてそれで1つの「仕事の断片」をつくってしまう。その15分間は仕事全体のことを考えるのではなくて、こなすべき断片についてしっかり集中して取り組むこと。それを繰り返せばいつのまにか大きな仕事ができてしまっている、というわけです。
まさしくちりも積もれば…というやつ。さすが「やり方ばっかり学んでないでさっさとやらんかい」と叱咤するだけあります。目指すものがおおきい夢だとして、その大きさにひるむ暇があれば小さなことからとにかくやりなさいと。

予備校の学長などもなさっていたそうで、「やりたいことがわからない」という相談を受けることが多かったんでしょう。夢の見つけ方、やりたいことを仕事にする方法にも触れています。
自分のやりたいこと、テーマを見つける方法は
・仕事が遊びと一体化するまで仕事に打ち込む。
「人生における目標」という大きなものなんていきなり見つかるわけじゃないから、働き方を変えてみる、というわけです。これも「目標を見つける」という大きな仕事を小さな断片にわけて考えていますね。
・会社のためになり、かつ一生懸命にやってしまうくらい自分の趣味に適う仕事を選び出す。
総労働時間の中でやりたくないにも関わらずやらなくてはならない仕事をする時間を先生は「知的エンゲル係数」と名付けていて、それを極力少なくできる仕事をしなさいと。
えっ、そんなのあるんすか~と言いたくなるけど、曰く
探しものをするとき、「必ずある」と思って探すと見つかる。しかし「ここにはないよ」と思って探すと、案外見つからないものである。
「必ずある。ないはずがない」という信念を持って、自分の仕事を探してみることが大事である。
だそうで、反論の余地をあたえない力強さがここにも!
私も読んでしまったからには何かしないと頭をたたかれそうなので、ブログに感想をかいています。仕事も能動的に元気にしないともったいないですね。今や先生がうらやむデバイスたくさんあるもんね。時間を無駄にしないようにがんばろう私。


2015/09/16

身体改造計画

肩こり、腰痛。デスクワークオンリーな仕事のため目の疲れから頻繁に頭痛を起こす。職場は極寒なので冷え性もひどくなっているし、特に頭痛は一度おこってしまったら3日間続くことも。というのが私の現状です。まさに現代人そのものですね!!

肩もみをたまにやってもらうと、右側はどんなに強く押しても感覚がありません。左利きだけど右側が特に凝るらしくて、腰も右側が張ってて鈍い痛みがなくなったことはない。

このままじゃ肩の凝りすぎが原因で死んじゃう…
と思ってやっつけの運動などしてみても、ポリシーのない運動って「やっても意味あるのかな?」ってかんじで、いまいち乗り気にならないので三日坊主になってしまう。

でも、いろいろな本を読むと体がかたいと性格も暗くなるとかいてあるので、この辺でいっちょ真剣に身体改造計画を実行しないと、私の未来は真っ暗必至!というわけで、気になる体操や整体などを読みあさってみて、自分にあった「体のととのえかた」を固めようと決意したのでした。

取り入れたいなあと思っているのは

  • 若足リフレクソロジー(足もみ)
  • 野口整体
  • 片山洋二郎さんの「身がまま整体」
  • ロルフィング
  • 瞑想
  • ヨガ
  • 骨ストレッチ

この辺です。これらの方法はお互いに重なる部分もあったり、影響を受けていたりして、カテゴリとしてはどれも近いはず。
どの方法も身体本来の力や元気を呼び起こしてくれるようなものばかりです。無理に伸ばしたり鍛えたりするのではなくて、身体が動きたい方に動かすことをサポートする、というやり方がとてもすき。身体を信頼するっていうことですね。

普段は頭でなんでも考えてしまいがちな私は、本当にすぐに落ち込みやすく、悩みをぐるぐるまわしておくのが得意で(笑)、自己嫌悪と仲良しなのですが、もしかしたらそれの根本的な解決法って実はなくって、「考えてもしょうがないんじゃーい」って放り投げて、身体の言うことを聴いた方が良いんじゃないかなって思えるようになってきたんです。
機嫌が悪くなったら、自分のせいって思うんじゃなくて「身体のどこかが固まってるかも」と考えてみる。とりあえずいったん身体に判断を委ねるという回路をきちんとつくってあげたら、楽になるらしいんですね。

ヨガなどに精通されたかたは、精神的に調子が悪くても身体がぐいぐい引っ張ってくれる感じがするそうです。わーーーーめちゃくちゃそれ感じたい!いつもねちこい根暗思考の犠牲になってる我が身体に、自由と決定権を与えてあげたい!

そうなるようにシフトしてゆけば、ものの見方から何から変わってくると思うんですよね。幸か不幸か今の身体と精神ってなかなかひどい感じだと思うので、実験体として、客観的にモニタリングしてゆきたいと思います。

今まで読んだ本は

スピリチュアルに偏りすぎないよう配慮がなされた瞑想入門本。何の抵抗もなく読めました。瞑想し日々の考えごとをクリアにしてみると、集中力や理解力など、様々な働きが向上する。
また、日頃「頭」が自分自身であると思い込みがちだけど、頭はそのほかの身体の機能と同じ、自分の中の一部にすぎないということに気づくことが大事。
普段なかなか引き出せない、「頭」以外の身体機能を活性化させるために瞑想はうってつけです。
完全な無にはまだなれないけど、何度か意識が「一段深く潜る」感覚を味わえていて、そのときは深い呼吸が無理なく続けられて、ふわっと軽くなるかんじがして、15分目をつむって座っておくという行為が苦痛じゃなくなります。すっごく楽しい。


骨盤にきく―気持ちよく眠り、集中力を高める整体入門 (文春文庫)
片山 洋次郎
文藝春秋
売り上げランキング: 16,620
えっこれは整体なの…?と思うくらいほとんど何もしない整体法。
なんでもすべての不調の原因は「きちんと睡眠がとれていない」ことにあるそうで、睡眠の質をあげるためには「骨盤に弾力があること」が大事で、それにより「深い呼吸」ができるようにするんだそう。寝ている間に深い呼吸によって身体全体をほぐしていく力が人間にはあるそうで、痛みのある患部に何かするより、「自分でどうにかする力」そのものをあげていくほうが元気になれるんだそう。
確かに。
寝る前や起きた時にとっても簡単な骨盤をゆるめる動きをやっていますが、重たい生理が少し軽くなったような感じがありました。これを読むと身体は全体が響き合っているんだなあとしみじみ思います。良い本。


整体入門 (ちくま文庫)
整体入門 (ちくま文庫)
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野口 晴哉
筑摩書房
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初版は1968年らしい。昔の文体の柔らかさが愛おしい!人間は身体のくせによって考え方や身体の動きが異なる「体癖」という考えをつくったひと。寝相でもそれがわかるらしい。私は頭で考えまくる1種とサブが8種というところかな?とにかく頭でっかちというのが、体癖論でもバレバレでした。
病気になったときもそれが悪いことではなくて、不調を身体が治そうとしていることだとしてとらえています。あわてて病気のもとを消すんではなくて、「なぜこのようになったのか」と考えてみるのも、身体の声を聴くいいチャンスなんでしょうね。
セックスや出産など、身体的なイベントはよくやれば身体にとても良い影響を及ぼすものとして、真剣に「よくする方法」を論じてくれてて胸きゅんでした。ちょっと子供産みたくなった(笑)


初版は1979年!ガンジーにまで教えを受けたという、ヨガを日本に広めた第一人者だそうです。こちらも昔の文体が心地よい。うふふ。ヨガとは呼吸法や難しい身体の動きだけを指すのではなく、そういうものを駆使して他人と、自然と、宇宙とつながりあるがままに生きてゆく道を模索してゆくことだそうで、頭で理解するものではなくて感じていくしかないのだと。道具を使うときも、道具が「どう使って欲しいか」を考えながらしてみる、みたいに、相手がまずあって、その相手と自分が「うまくつながれているか」を常にモニタリングすることが大事なんだそう。
心の平安を得るため運命をそのまま受け取り、苦しみも「縁」ととらえて全肯定してゆくこと。それを得るためには正しい姿勢が必要であり、ヨガのポーズはそのためにあるのだと。

挿絵が思いっきりスピリチュアルでなんか面白かったです!ブリッジするポーズほんとうに気持ちよかった。淀みがどこかに生じないように身体を柔軟にしておくという考え、本当にいいなーと思います。身も心も柔軟になりたい。


今読んでるのはこの辺です。
ロルフィングについても本をゲットしたので次の機会にも。あー楽しい。

2015/08/06


カウニステのデザイン 北欧テキスタイルブランドの新しいかたち

カウニステのこと知らなかったのですが、日本人がフィンランドの友人とともに立ち上げたテキスタイルブランドだそうです。ちょうモダン!というかんじではなくて、素朴で有機的ってかんじのデザインがたくさん。朗らかです。色味は北欧テキスタイルらしくカラフルですが、マリメッコのように鮮やかさ100ではなくて、抑え気味に統一されていて、生活にすぐに馴染んでいきそう。

この本での見どころはなんといってもデザイナーたちの仕事の内容が丁寧に紹介されていること。創立者のお二方も口をそろえて「デザイナーのインスピレーションを何より大事にしている」とおっしゃっていたし、デザイナーの力を最大限に引き出そうとしている姿勢だからこその構成なのかな。

デザイナー紹介コーナーでは、ひとりひとりの仕事環境がみられるし、制作過程も見ることができます。それだけじゃなくてアイデアの出し方とか、気分転換の仕方とかきちんと聞き取ってるところが「デザインすること」に興味がある私にとってかなり役に立ったり。

ブランドに所属するのではなくフリーランスで働く彼らのスタイルはそれぞれで偏っていて、中には締切をよく過ぎてしまって平謝りしてしまう人もいました。なかなかアイデアが湧いてこないときや、うまくいかないときでも、そこから逃げたりせずにそのもやもやととことん向き合うのだとか。

中にはアイデアに困ったときなんて無い!と豪語するかっこいい方もいました。matti pikkujämsäさんといって、フィンランドでは有名なイラストレーターさんだそうです。デザインはこの人のがいちばん好き!カフェでさらっと描いたスケッチもすごく素敵。
彼曰く
「自然体のポジティブな心で世界を見つめていれば、ベッドで眠りにつく瞬間までどこからでもひらめきは生まれるんだ」
だそうです。アイデアをひねりだそうとしているときの私の状況を思い浮かべていると、とにかく不安で焦ってしょうがないイメージ。血眼でいろんなフライヤーを画像検索して、どうしようどうしようって言ってる気がします。それとは真逆ですね!!!!資料を集めることじたいはいいんだろうけど、負の感情が支配しているので、思考にブレーキをかけている状態かもしれない。

あとアートスクールで習うというアナログのシームレスパターンの作り方、とても参考になりました。


カウニステのアイテムの中でいちばんトレーがほしい。もしくは自分であんなのつくりたい。

2015/08/05

石鹸シャンプー

をはじめて5ヵ月目に入る。洗い方がマズイのか乾燥性のフケがちょこちょこでることがあるんだけど、それ以外は市販のシャンプー&コンディショナーの何倍もよいかんじ。
それまでは洗った直後に頭頂部の根元がキシキシしたり、トリートメントをやって洗い流さないトリートメントまでしてもパサついたりしていたけど、石鹸シャンプーと専用リンスのみでサラッサラを維持できます。

最初は「アレッポの石鹸」こそ至高!と思っていたけど、石鹸シャンプーを使う美容室で「成分いくつか入っていたほうが使用感としては良いのですよ」と言われ、「カリ石鹸素地」ではないもの、以外特に何かにこだわることはせずによさそうなものをいろいろ使ってみています。

それではこれまで使用した石鹸一覧。


アレッポの石鹸
成分:オリーブ油、ローレル油
泡立ち:★☆☆  使用感:★★☆
なかなか泡立たないのもあってシャンプーには時間がかかるけど、仕上がりとしては良い感じ。640円くらいで200gとコスパは大変良い。

アレッポからの贈り物 ローレル
成分:オリーブ油、ローレル油
泡立ち:★☆☆  使用感:★☆☆
「アレッポの石鹸」より安いやつ。コスパは最強、でも匂いがより臭かった気がする(笑)アレッポ系はすぐ溶けてしまうので減りもはやいかなあ。

ムーンソープ シャンハイ
成分:コメヌカ油、パーム油、アーモンド油、ヤシ油、水、水酸化Na、アニス油、ペパーミント油、ショウガ根油、ゴマ種子、ローズマリーエキス
泡立ち:★★★  使用感:★★☆
とにかくアレッポ系よりすごく泡立つのでとても楽。ミントの匂いも好きなのでシャンプーが楽しかったです。ムーンソープ系はすすぎのときも軋まないのですすぎが丁寧にできる気がする。これが成分たくさん入ってることのメリットなのかな?100gで840円くらい。

ムーンソープ ピーピー
成分:ヤシ油、コメヌカ油、パーム油、水、水酸化Na、イランイラン油、パチョリ油、ラベンダー油、ローズマリーエキス
泡立ち:★★★  使用感:★★★
今のところこれがベスト!好き!シャンハイよりもしっとり仕上がるので気持ち良い。イランイランあたりが良い仕事をしているのかな?840円で100gを高いと思うかどうかでリピートしようかが決まります……ほんとに好きです。

サボンドマルセイユ ワイルドローズ
成分:石鹸素地(パーム油、ココヤシ油)、シアバター、香料
泡立ち:★☆☆  使用感:★☆☆
いま使用しているもの。100gで800円だったけど、200gでは1200円だったので、そっち買っちゃいました。成分が少ないのが不安ですが、シアバターが入ってるので何となくよさそうだったのよね~
でもやっぱり泡立ちがあまり良くないかなあ。なので石鹸がいきわたるのに時間がかかり、流すときしむからすすぎもやりづらい。乾かしてもシアバターのしっとり感はあんまりわかんないので、シャンプーには向いてないのかもしれません。


というわけで、いまのとこムーンソープに戻りたいんだけど200gも買ってしまったサボンドマルセイユさんがいらっしゃるというかんじです。
これからはマジックソープの固形石鹸も手を出していきたいな。

2015/08/03

破れる殻だろうか~デザインという苦痛~

illustratorCCは立ち上がるの遅いけど操作してるときのパスの動き方がすき。

さて今回の議題はデザインです。デザイン。私がとてつもなく苦しめられるデザイン。
できればイラストレーター、グラフィックデザイナーになりたいなあと子供の頃から思ってきましたが、あれこれ理由をつけて何もやらないタイプでここまできました。ただの面倒くさがり屋といえばそうだし、もしかしたら本腰入れてやらないことによって「私には未知数の力があるからいざというときそこにゆけばよい」などといった残念きわまりないスピリットがこびりついているからかもしれません。そういうタイプ、よくいますよね、小説家志望で一作も書き上げない人とか。わかります、あなたの気持ちはわかります。

とはいえ、仲良くしていただいているひとたちがイベントやるのを仕事にしていて、フライヤーやポスターのデザインはたまにお願いされることがあります。とてもありがたいです。
でも
正直言って
毎回 ちょうちょうちょうやりたくない!って思いながら、現実逃避し続け、これ以上はもう先延ばしできない、というところで慌てて取りかかり始めています。大学のレポート課題かよ。
デザイン以前のところで拒否反応を起こす私が情けないし、とてもプロでやってけるとは思わないですが、以上が制作時の私の状況なのであります。

デザイン業務は主にパソコンでできちゃうので、インターネットという危険が常に隣で待ち構えています。制作中も15分がんばったら1時間インターネッツ☆というのはザラで、結局仕上がりは朝の4時に。少し寝て仕事にいかなきゃ…というかんじになります。なんかこう、クリエイティブってそういうことじゃないじゃん。もっと時間かけてアイデア膨らましていって、すごく意味のある内容をつくるじゃん。

でもいつだって私の期末テスト前夜みたいな制作スタイルは、とりあえず終わらせろ!だけが目的になってしまって、つくりながら泣きそうだしつらくてたまりません。
ちなみに学校のテスト勉強やレポート課題のときも、同様にぎりぎりまで先延ばししていたため、悲惨な結果ばかりでした。
なにが苛つくかというと、課題もデザイン業務も、やってるうちに乗ってくるんですよ。そうするともっといろいろ考えてやりたいのに、時間がないんですよ。そしてコンセプトもかたまってないから時間がかかる。乗ると楽しいのに、そこまでいけたときには時間が足りなくて、朝方までやってるからコンディションもひどくて、そこが悔しいのです。

こんな状態を一言で言うと自業自得ってやつなんでありますね。

私だってカフェでさわやかにコーヒーでも飲みながらアイデアを出して、きちんと考えてから作業に入りたい。でも朝や昼にカフェに入ろうものならパソコン開いたところでインターネッツ☆なんですよねえ。フォント集めよう~と思っても、ネットサーフィンにたっぷり1時間かけてから「あっ、いけないフォント探すんだった」と気づく。

同じ過ちを犯したくないのに犯してしまう。
でも向いてないんじゃないの?では片付けたくない。
本当は本当は心の底からしっかりやるべきことに取り組みたい。だって嫌いじゃないもん。本当はわくわくすることのはずで、大変ながらもとっても素敵な体験のはずだもの。
世の中には私みたいな人がたくさんいるって知ってます。procrastinate(先延ばしにする)という単語もきっちり覚えています。でもね、でもね!やるべきことを他の楽なことより最優先にできるって、そこに行き着けたら、道が開けるとおもうんです。というか、それでしか開けないと思うのです。これを仕事にしたら、避けてる暇ないでしょう?時給換算でも割に合わないのです。

だから、どうしたら逃げずにデザインできるか?

今まで考えたことなかった気がする。考えて実践していくことによって改善できるのかどうか、試してみたいです。


デザインの何がつらいって

  • アイデアわいてこない
  • 技術的に難しい&やりかたがわからない
  • 技術的にできるけどめんどくさい

このあたりですね。たぶん怖いんですね、何もでてこないけどどうしようっていう気持ち、世の中にはこんな細かいデザインできるひとがわんさかいるんだ、と気が遠くなるかんじ。
その辛さ&怖さに向き合いたくないから、先延ばしが続くのだよなあ。


それでも辛さを超えてアイデアが降りるだとか、粘ったらできたとか、自分の殻を破ってみたい私は本当に、どうしたらいいんでしょうか。
というのをこれから考えてやっていこうと思います。
まずは、考え続けることかなあ。
名越先生の著作を読みあさった後だから推測できるけど、きっと心の持ちように9割くらいの解決策があるんじゃないでしょうか。えーん。がんばる。



2015/07/25

なこしせんせーい!

4月に名越康文先生の本にであった時はこれで明るくなれそうだなあと思ったけれど
時がたつにつれてだんだんと「こまかい怒りを払う」ことがおろそかになり、
気づいたらいつもはまっている、「一回駄目なことあったらその日はずっと駄目なムード」のパターンに逆戻りしてしまいました。

こんなときはもう一回先生の本を読み返す…のではなくて、先生の別の本を買うのが特効薬なので、ジュンク堂とかの通販サイトhontoのクーポンやポイントを駆使し、「心がフッと軽くなる瞬間の心理学」「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」を1冊は無料で、もう1冊は117円ほどで購入。
これらの本は先に読んだ著作とだいたい言いたいことは変わらないだろうな…と思っていたので軽く読むつもりでゲットしたんですね。

でも結論から言うと今まで読んだどの名越先生の本よりめちゃくちゃ重要な二冊でした。がーん。選ぶセンスぜんぜん磨かれてない!さらにいうとこの2冊を読んでるときにランチにいったんですけど、人混みが嫌だったので静かなカフェにいったら、メインはおいしくないし食べ放題のサラダでドレッシングも外れを選ぶし、おまけに唯一いけると思ったスープをおかわりしようと思ったら残ってなかった…とさんざんな結果だったので、店を選ぶセンス(感覚)を養っていきたいです。

今回の2冊だって、こんなに素敵だと知っていたらクーポンを使わず定価でしっかりゲットしていたはずです。ごめんなさい。お詫びに本から吸い取れるだけ吸い取ります。


というわけで、「自分で自分の気持ちを立て直し楽しく生きていく方法」をもういちど学びました。

2冊に通じるもっとも重要なポイントは

  • 集中力を鍛える。言い換えればエネルギーを必要なところにのみ注ぐ。
  • 朝に心を整えておく。
  • 何をするにも「自発性」が刺激されるようなやり方を考える
  • 仏教たのしい
というところかな。

様々な本で繰り返し注意しているのが「妄想の力」で、人は実際にあった嫌なことに妄想をつけくわえて、不快感を何倍にもふくらませている、ということなんですけれど
なんど読んでも自分が一番自分を傷つけているという事実はとても恐ろしいしそれを考えるだけで無力感におそわれます。独り相撲というやつですよね。

名越先生によれば「人は空想に殺される」と。とても大事なお言葉です。誰かに対して、自分のおかれている状況に対してふつふつと怒りがこみあげてくるとき、怒っている対象は自分の頭の中でつくりあげたものだということを、日々思い出さないといけないのです。そうでないと自滅してしまう。
調子のよいときは自覚できた瞬間に「いけない」と思い直して、どうにか軌道修正できますが、こまめにチェックしておくことを怠ると、小さい怒りがつみかさなって、自覚→軌道修正に使うエネルギーが大きくなってしまう。それがおっくうになって、怒ったまま一日を、あるいは何日間かを過ごしてしまう。そこをいかに気付いた瞬間に止められるかというのが目下の課題です。
怒ったまま過ごす日々は、「何やったってどうせなおんないし」とすべてが投げやりになってしまって、いわゆる悪循環にはまってしまうのです。
悪循環にはまっているときはそれじたいが自分がつくったループだということに気付かない。自分で自分を閉じ込めているんですよね。

離岸流といって、強い潮の流れが沖に向かっている一帯というのが海にあります。
その流れに飲み込まれてしまうと、抵抗して岸に向かっても流れに勝てないのですが
その流れは横幅でいうと大きくても30mだということで、つまりは横にそれるように泳ぐと潮の流れからうまく脱出できるらしいのです。

自分の空想から生まれる怒りにとらわれ、悪循環にはまってしまった人というのも、離岸流に飲まれ、岸にむかって必死に泳いでいるひとのようなのかもしれません。
大切なのは、流れが弱い場所がすぐ隣にあるということを知っておくこと。

名越先生は怒っている状態を「アクセルとブレーキを一緒に踏み込んでいる状態」とたとえます。ブレーキ(怒り)を踏んでいることにきづいて足をはずせばうまくすすんでゆくだけなのに、それに気づかないで「動かないんだけど?」とまた新たな怒りを呼ぶ。
車は動いていないのに、エンジンはヒートアップするばかりで、結果的に車(自分自身)を傷つけている、という。ああ、まさに!すごいたとえです。

このたとえは、怒りを消す実践においても役立つのではないかと思います。
「あーいま怒ってる、さっさとこの感情を消さなくては」と思うとなかなか分かっちゃいるけど消しにくい怒りも、「あ、いまブレーキ踏んでる、外さなきゃ」というイメージにかえることによって、ブレーキをゆるめるイメージのまんま、怒りの感情を手放せるような気がします。
なんて便利!

と、このように百害あって一利なしの怒りの感情にかんたんに流されないように
名越先生は「今、ここ」に集中することの大切さを繰り返しといています。怒りに対抗するすべとして、集中力をしっかり鍛えるのがなにより大事だと。というか、これしかないのだと。
集中するということは、すなわち心を整えることになります。あちこちの感情に目を向けずに、ひとつのところにしっかりと落ち着くということ。今やっていることを丁寧に集中しながらやる、それがもたらす効果がすごいんだそうです。

ながら作業ではなくて全力でやるべきことにとりくんでみると、今まで見えてこなかった面白さがわかったり、工夫してみたくなることをみつけたりして、本来もっている自発性が刺激されるんだとか。自発的に取り組む、というのは人間の本質で、それが刺激されれば、疲れにくいし、ポジティブな気力がどんどんわいてくるので、ポジティブな状態が続くようになる――まさに悪循環とは真逆の、好循環がうまれるわけです。

そのように名越先生に説明してもらってはじめて、今まで暗い状態がデフォルトで、なかなか明るくなりきれない、ひねくれ者の私もいろいろ腑に落ちることができました。
デフォルトだと思っていた「暗い性格」も「ひねくれ者」もただブレーキをめいっぱい踏んでいただけなのだなあと。
そうやってすとんと降りてきたおかげで、これから本格的に気を付けて明るく過ごせるかもしれないなあと思えています。よかった…本当に良かったです

んで、毎日怒りにとらわれないよう自分をこまめにメンテナンスしていく方法として
名越先生は「朝をだいじにする」ことと「仏教の有用性」をとなえています。

なんで死ぬのに生きてるの?という本のタイトルに明確な言葉でこたえているわけではないのですが、そもそも最初でその答えは「言葉をこえた実感でしかつかむことができない」とも言っていますし、あとアマゾンレビューで、「そもそも『どうせ死ぬのになんで生きるのか』と問うときっていやなことがあってモヤモヤしてるときだけなので、ポジティブになることによってその問い自体を超越していこうといってるのでは?」というのがあって
すごくうなずいてしまいました。本を読んでるあいだに問いへの執着を忘れてしまっているというか。

ガッチガチの仏教徒になるんじゃなくて、自分を助ける手段としての仏教、いいなあと思います。毎日のちょっとした癒しとして宗教を活用すること。とてもさわやかな気持ちでやってみたいなあって強く思っています。

またまとまってないけど、書きたかったので書き殴り逃げ。

2015/07/04

日々の暮らしが与えるもの

松尾たいこさんというイラストレーターがいる。夫は売れっ子ジャーナリストの佐々木俊尚さん
私は前々から松尾さんがロールモデル。彼女は32歳で仕事をやめ絵の学校に通いイラストレーターデビューを果たし、成功をおさめている。
それと夫がこれまた稼ぎまくってるうえに料理はぜんぶ彼がつくるのだ。たいこさんのエッセイによると、手伝いの意味でスーパーの買い物についていくと、夫は一人で選びたいからか邪魔そうに「お菓子でも見てたら」と言うのだそうです。

「お菓子でも見てたら」
未来の夫に言われたい最高のセリフとして、私はそこにマーカーを引きました。(kindleだけど)

すなわちたいこさんは私がやりたい職業と欲しいタイプの夫とあと富と名声を手中にしているわけです。素晴らしい!私もやりたいことやって金を稼ぎ、いつかは高価なソファで成功体験をつづるオシャレなエッセイを書くぞ!とやる気にさせてくれます。

という皮肉交じりのこといってますけど、たいこさんの絵はとても素敵です。山とか木漏れ日とか、自然を描くときにナチュラルにピンクをつかうのですが美しいです。画集もちろん持ってます!!

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話かわって
ここ1ヵ月で「片付けができない散らかし魔」から「暇さえあれば掃除してる掃除魔」に変わった私
今までは掃除って、「増大していくエントロピー(散らかり具合)に対するその場しのぎ」の側面がつらすぎて、やらないうちに気づけばめっちゃ汚れてるみたいなかんじで、負のサイクルから抜け出すことができずにいたのです。

でもこんまりさんの本を読み部屋を整えていくと、素敵な家にしたくなるので掃除もしようかなと思えるようになったのと、ものが減ってスッキリしたぶん掃除がしやすくなるので、そんなに苦でもなくなりましてね。

なので、こんまりさんはお風呂に入るたび雑巾で風呂場を拭いているだけでお風呂掃除に洗剤は使わないとおっしゃっていたので、真似してみたんですよね。毎日。
そしたら今まで3週間くらい続いているんですよ…恐ろしくないですか…毎日ですよ…

で、気づいたことは、汚れをためないようにその場その場で対処しておくと当たり前に溜まらないので、気軽に掃除ができるんですね。溜めてしまうとみるのも嫌になって掃除からどんどん遠のいてしまうこともあるので、意外に私にあってる方法だということがわかりました。

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こんまりさんにならって家をきれいにしていると、自然と日々の暮らしに目が向きます。片付けは日々を暮らしやすくするためにやるからです。すると、掃除・片付け以外に大事な家の中でのイベント、食事にターゲットが移るわけです。

そこで以前買っていた佐々木俊尚さんの「家めしこそ、最高のごちそうである」を読み返したら素朴なご飯を自分でつくることの大切さがにじみでていて、とても楽しく読み返しています。

料理はほんとに苦手というか勝手がわからないからできればやりたくない派だったんですけど、自分のために自分で食事を用意するって、とても自分を大切にしていることになるんですよねえ

たとえ総菜で間に合わせたとしても、パックから取り出してきちんとお皿に盛ってあげるとか。そういう些細なところでいい加減にしないというのがいかに影響を与えるか、そういうことを考えています。

少しずつではあるけど料理することの楽しみみたいなものも実感できているし。
このまま生活力を一気にあげていきたいです。
「お菓子でも見てたら」って言われたいという気持ちは捨てないけど!!!

2015/06/16

片付いてしまった

散らかすという行為は問題の本質から目をそらすための人間の防衛本能です。

といきなり人間として駄目だしされるところから始まる、こんまりさんの片付け本。

こんまりさんこと近藤真理恵さんのことは、最近まで知る機会がなかったのですが、もっと早く出会いたかったです。「片付け」という単語ににじみ出る「めんどくさくてやりたくないけどやらなければいけない」という後ろ向きなイメージが完全に払拭され、「片付けはほかでもない、自分のためにやるのである」と1000%前向きに取り組めるようになる本です。

Kindleポイントが半額還元されるときに「人生がときめく片付けの魔法1」と「2」を揃って購入して、あらゆるところにバーチャルなマーカーを引きまくって、むさぼり読んだあとには
「かたづけ!!!しなきゃ!!!!」と鼻息荒く洋服をひっぱりだしていました。

片付けはもともとめちゃくちゃ苦手で、引き出しの中にごちゃごちゃに放り込んでどこに何があるかわからないとか、家に帰ってきたら上着をとりあえずいすにひっかけたままにしておくとか
ベッドに投げ出しておくとか、それがどんどんたまっていくとか。。というのをこれまで生きてきてずーっと繰り返していたのです。が。

こんまりさんの本に忠実に従って片付けをしてみたら、洋服を出しっ放しにすることがなくなりました。そのうえ毎日鞄からすべてのものを取り出すなんていう、きれい好き上級者みたいなこともできるように。
こんまりさんは言います。血液型や性格によって片付けられない人がいる、なんてことはありえない。片付けはマインドが9割だと。本当にそうだったようです。今ではテーブルにものがおいてあるとすぐ気になってしまうようになりました。ミラクル。

捨てるものを決めるのではなく、残すものを選ぶという発想によって「いやなもの」のことを考えるいよりも「好きなもの」のことをより多く考えられるようになるので、自然と片付けそのものが楽しくなる。

そして「片付け」そのものが目的なのではなくて、片付いたきれいな部屋、お気に入りのものに囲まれた空間で幸せな時間を過ごせるための手段として片付けを位置づけているのがとても良いです。
特徴的なのは、こんまりさんが「もの」や「おうち」を人間とおなじくらい大切にしていること。
ものに話しかけ、家に話しかけるその姿に「オカルトっぽい…」と引く人もいるようですが、私はこれめちゃくちゃ大事だと思います。そこにあるものや家じたいを大切にすることは、「場」そのものを大事にすることにつながって、場所の力みたいなものが発揮されるはずだからです。

最近、精神科医の名越康文先生の著作もむさぼり読んでるのですが、先生も「場の力」のすごさを語っていて、良い場も悪い場も、人に与える影響はおおきいのだと。自分の居場所がどこにもないと思っているのなら、居場所を探すのではなくて、今いる場を自分の居場所となるように自ら育てていくべきなのだと。

居場所があるって、つまるところ自分が安心できるところであって、自分が安心できるというのは、何か起こったときに自己治癒力にもなれるというわけであって、何かしら疲れることだらけの毎日をなるべく楽しく楽しく暮らすためには、必須なんですよね。

ということを思っていたら、文筆家の千野帽子さんもそういうようなことをツイッターでつぶやいていまして
自分に鈍感な男、自分に敏感な女 「不機嫌」についての考察
著名人が皆似たようなことを別々のアプローチで見つけているのが不思議だし、いろんなことが一気にリンクして楽しいです。

話ずれまくりましたが、片付けはただものを減らしてすっきりするだけじゃなくて、「もの」と、ひいては「場」ときちんと向き合う行為だということです。そして自分の身近なものにきちんと向き合えば向き合うほど、自分がどんどん楽になっていくと。

断捨離や片付けにかんする本はやまほどあって、きっとどの本も突き詰めていけばみんなおなじ境地にたどり着けるとおもうのですが、そのしくみみたいなものをきちんと言語化できているのがこんまりさんの本の魅力で、だからこそ世界中に翻訳されているのだろうなあと思いました。

「片付けを終えた人は人生がドラマチックに変わる」らしいですが、そんなことばにひがんでみせるのではなくて、素直にそうなりたいなあと思えました。


たくさん思うところはあって、こうしてまとめてみると書き切れない要素がぽろぽろこぼれていったけどまあいいか。